川北英隆のブログ

国際会計基準の野望潰える2

かつて日本の会計基準と国際会計基準の同等性を図るために設定されている「企業会計基準委員会」のメンバーだったこともあり、国際会計基準の試みには基本的に賛成である。しかし、疑問もある。
基本的に賛成する理由は、各国および国内の会計基準が統一されることと、「設備投資とリース」のような実質上代替関係にある手段について、会計処理の統一が図られることにある。これらの結果、投資対象の評価が簡素化でき、投資家にメリットをもたらす。もちろん、この意味での会計処理の統一が進んだとしても、各国の間には取引慣行等の社会的差異が残るから、比較の手間は依然として残るだろうが、軽減されるのは確かだ。
一方、国際会計基準に対する疑問は、1つは負債の時価評価である。
リーマンショック時、アメリカ企業に見られた現象を思い出したい。某企業の倒産リスクが増大すれば、その企業の金銭債務(借入や社債)の価値が低下する。社債の売買価格の低下が典型だろう。これについては、あたかも「投資家が某企業に対する貸出や社債の元本について、100%の回収を諦めた」とみなすことができる。言い換えれば、某企業にとって負債の負担が軽くなり、その軽くなった分、某企業に利益が生じたと認識できる。これが負債の時価評価である。
この現象は会計におけるパラドックスだと表現されることもある。本来はパラドックスではなく、会計体系が不十分だから生じる現象にすぎない。詳しい説明は省く。関心があれば、川北英隆「会計的な企業評価とファイナンスの関係」中央大学「CGSAフォーラム」第1号PP.125-134、2003年3月を見てほしい。
要するに、企業が保有する資産の質が低下したために収益力が低下し、企業倒産リスクが増大したわけだから、資産価値も減じる(損失を認識する)のが本来の会計処理だと考えられる。しかし、企業が保有する設備や無形資産の価値を会計的に評価することは困難である。このため、資産価値を減じる会計処理は十分には行われない。つまり、資産側と負債側の会計処理が不一致となり、それがパラドックスに見えるにすぎない。
長くなりそうなので、疑問の続きは稿を改めて。

2012/07/14


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