川北英隆のブログ

田中義廣氏のその後

プルーストの「失われた時を求めて」の中に電話の逸話が登場する。当時珍しかった電話の中の声が人の感情に与える効果のことだったと、ぼんやり記憶している。それと同じことが生じた。
夕食後にテレビを見ていると(これもプルーストの時代からすると不思議な光景なのだが)、電話が架かってきた。出ると女性の声で、「川北さんでしょうか、田中・・」と聞こえた。その後の言葉を正確に覚えていないことからすると、瞬間的に相手が誰だか、つまり亡くなった田中義廣氏の奥さんだと分かったのだろう。同時に、どのように対応しようかと、いろんなことが脳裏を過ぎったと思う。もちろん、田中君の奥さんとは面識も何もない。
要件が一通り終わり、田中君や高校時代の話題となった。この話題の数分が非常に長く感じられ、また「失われた時を求めて」に述べられた電話に関する逸話を彷彿させた。
島君といい、田中君といい、中学や高校時代の友人と再び会えないのは寂しいことだし、ある意味で懐かしさを覚える。現在の自分を振り返り、「遠い世界まで来た」と、四次元的な、つまり時間の流れを距離に置き換えるイメージというか発想も浮かんでくる。
また、二人と同列に取り扱うのは少し申し訳ないと思いつつも自然と感じるのは、かつて同居した犬や猫に今はもう会えないのも、同じように寂しいし、懐かしいということだ。
一本の電話がいろんな思いを呼び起こす。客観的に眺めると、面白い現象だと思う。
注:何でこんな展開にと思ったら、7/8の「ネットつながり」を。

2012/07/13


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