川北英隆のブログ

終戦記念日に思う

今日は終戦記念日、1945年から67年が経過した。戦争を経験した世代がほとんど消滅している。わが家も去年、父親という生き証人がいなくなった。何を残すべきか、真剣に考える時だろう。
父親はどちらかというと国粋的というか右寄りだったのかもしれない。とはいえ、戦争に対しては批判的だった。そもそも、戦争によって自分自身の青春が台無しになったと話していた。だから、平和を大切にしていた。
そう、平和が一番だと思う。そもそも、国同士の争いは一般国民にはほとんど無関係だと思う。権力者が、それが絶対的存在であれ、選挙で選ばれた者であれ、自分とその取り巻きの権利や権勢を守り、高めるために、「何々は譲れない」と、他国との争いを始める。それが戦争の火種だと思う。一般国民は、その権力者が煽り立てる「国民感情」に洗脳され、流され、結局は権力者に同調し、自らの、もしくは親族の青春を戦争によって犠牲にしていく。その可能性が大いにある。考えてみれば馬鹿馬鹿しいことだ。
現在の日本を考えると、過去にほったらかしてあった島(群島)1つをめぐり、隣国と争っている。隣国も同様だ。それを自分達のものにしたところで、本当の幸せが到来するのだろうか。お互いに争う以外に解決策がないのだろうか。現状のままでは、妥協点はないだろう。妥協することは、権力者にとっての敗北でしかないからだ。繰り返しになるが、国民として、そんな権力者の私利私欲に近いことにいつまでも付き合っていられないと思うのだが。
戦争の経験者がいなくなると、どうしても戦争は架空の出来事となる。実際に戦争してみれば、それはゲームとは別世界のことだ。山登りよりはるかにきついのは当然である。少なくともゲーム感覚、いじめ感覚で戦争を論じてはならない。

2012/08/15


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