川北英隆のブログ

もんじゃ焼きを初めて食べる

昨日、今度は金財の記者Kさん(一昨日とは当然、別のKさん)と月島でスペイン料理を食べた。その帰り、ついでだからと、月島名物もんじゃ焼きを食べることにした。その感想は・・・。
スペイン料理の最後に蒸留酒を飲もうということでオルホ(イタリアのグラッパと同じくブドウの皮つまり葡萄酒の搾りかすから作ったブランデー)を口にし、すかっとした後だった。そのせいもあるのだろうが、本場、月島もんじゃ通りで食べた、生まれて初めてのもんじゃ焼きは美味くなかった。ちなみに、注文したのは「昔もんじゃ」と「チーズもんじゃ」だった。綺麗なお姉さんが焼いてくれたのだが。
美味くないのは予想通りというところだろうか。カミさん曰く、「土手の中に入れるメリケン粉主体のとぎ汁が茶色で、いかにも汚らしい」と。それに、耳かき程度にしか見えないコテもケチくさい。味も大阪や広島のお好み焼きの圧勝である。京都にもんじゃ焼きの店が進出してきているが、近々潰れると思える。
それで思い出したのは、小さい頃はお好み焼きとは言わなかった。奈良の実家では「洋食」と言っていた。近くにおバアさん(ひょっとして当時50歳位だったかもしれないが、いかにも年寄りの雰囲気があった人)が長屋の軒先で店をやっていた。1枚10円が基本だったと思う。薄くメリケン粉を伸ばして、その上にキャベツとテンカスを乗せて焼いてくる。追加料金を払えば、タマゴとかマメ(ブタ?の腎臓)を乗せてくれる。最後はソースである。
実は、隣家の3歳位年上の女の子が洋食ファンで、何人か近くの子供を集めては、よく一緒に食べに行こうということになった。羽振りのいい女の子で、マメを皆に奢ってくれたこともあった。そのマメの感想は、アンモニア臭かった。自分で進んで食べようとは決して思わない味と食感だった。多分、切ってから古かったのだろう。まあ、そんなものでも食べられないよりはましだったのだろうが。
もんじゃ焼もその程度のものだろう。歴史はもっと古いかもしれないが、物の乏しい時代に流行ったのだと思っている。でも、もんじゃ焼きの小さいコテはどうしたものか。江戸時代の鉄が貴重だった頃、もしくは竹のコテの名残で、これこそ歴史の古さなのか。

2012/08/03


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