川北英隆のブログ

アユタヤからの鉄道で

今回はバンコクの近郊にも足を伸ばした。その1つがバンコクの北70kmに位置するアユタヤである。タイの古都であり、バンコクを流れるチャオプラヤー川を使った貿易で栄えた。
今のアユタヤはバンコクに比べると非常に小さな町であり、世界文化遺産に指定されている。1767年、ビルマの侵攻によりアユタヤの町は徹底的に破壊されたという。実際、町に残されている文化遺産は廃墟か、修復された遺跡だけである。また、当時のバンコク付近はチャオプラヤー川のデルタ地帯として、あまり住むのに適していなかったようだ。それをアユタヤ時代に徐々に住めるようにしたらしい。まあ、そんなことはネットを検索すればすぐに読めるが。
そのアユタヤには鉄道かバスで行く。我々はビクトリーモニュメント(フランスとの紛争の勝利記念塔)から出るミニバスに乗った。エアコン付きで安いが狭い。満員になれば(座席がすべて埋まれば)出発だ。
アユタヤ市内は自転車で回った。日本から輸入した中古の(多分放置されていた)自転車だが、変にいじってあって乗りにくかった。
帰りは違う方法にしようというので、列車(タイ国鉄)で帰ることにした。その列車は大幅に遅れていたが、「まあいいか」としばらく待ち、乗り込んだ。予定では1時間30分程度でバンコク(中央駅のフアラムボーン駅)に帰れる。
それが、もう後数分というところまで比較的順調に走ったのだが、ダイヤの乱れで終着駅の構内に列車がいっぱいだったらしく、1時間半程度も止まったままになった。列車の遅れに慣れている現地人もしびれをきらし、連結部分から線路に脱出する者が出始めた。最後にはドアが開けられ、乗客の大脱出が始まった。我々もそれに混じって脱出、線路を少し歩いて近くの大通りに出た。タクシーでホテルまで帰る予定だった。
と、列車が動き始めた。しかも、金曜日だったのがいけなかったらしく、肝心のタクシーがつかまらない。仕方なく1.5kmくらい歩き、ホテル近くの中華料理屋にそのまま飛び込んだ。その店の料理がうまく、さらに歩いたおかげでビールもうまかったが。
慌てる乞食はもらいが少ないとの教訓なのか、それとも得難い体験なのか。いずれにせよ、忘れられないものになった。

2012/09/10


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