今回のタイの旅行では事前の予定をあまり立てなかった。バンコク市内と日帰りで行ける近場程度と大雑把に予定していたに過ぎない。現地で相談して、アユタヤに行き、泰緬鉄道に乗った。
泰緬鉄道はバンコク中心部の対岸にあるトンブリ駅から出る。トンブリはかつてバンコクの中心部だった。そこから1日2本、泰緬(タイ-ビルマ)鉄道の現在の終着駅、ナムトックまで列車が運行している。途中、戦場に架ける橋で名前の知れたカンチャナブリを通り、その橋でクワイ川を渡る。片道5時間、100バーツの旅である。これを結局往復した。乗ってるだけで10時間の予定。実際には、アユタヤからの帰りほどではないにしろ遅れが生じたから、さらに時間がかかった。気長でないと実現しない旅だ。
列車の中では弁当、果物、菓子、飲み物などを売って地元民が行き来する。カンチャナブリ付近の東側はビルマ(ミャンマー)との国境に近い。低いながらも妙義山に似た岩場の多い山が迫り、大きな竹や麻(大麻ではないが、多少成分は含んでいるはず)の畑が目立つ、異国情緒の濃い地帯であった。
その列車に乗ってはじめて気づいたのは、父親がこの鉄道を使ってビルマに入り、戦争したのではないかとのことだった。タイに行く前に調べることなんて当然していなかったので、帰ってから調べた。父親はA型人間らしく、戦争の経路を記録し、残している。
それによると父親は鉄道を使ってマレー半島からバンコクの東方80km程度のノンプラドックまで入り、後は工事中だった泰緬鉄道に沿ってビルマに入ったとある。歩きと車だったのだろうと思う。多分、カンチャナブリ以遠の車窓の風景は当時とあまり変化していないだろう。
そんな泰緬鉄道に期せずして乗ったのは何かの導きかもと思ったりした。父親が生きていたのなら、実家に帰り、追加の情報が得られたかもしれない。でも、最近の父親は老いのせいで記憶があいまいになっていたから、多くは期待できなかったかも。
残念なことに戦争中はビルマまで通じていた泰緬鉄道は、現在はでナムトック(国境越えまで150kmくらい手前の町)で終わっている。その先は一部ダムに沈んでいるとも記されている。一方、泰緬鉄道を復活させ、タイとビルマの間の物流を活発化させ、さらにアジアとインドや中近東などとの輸送距離を短縮しようとの計画も持ち上がっている。復活すれば、列車に乗ってビルマ側も見てみたいものだ。
泰緬鉄道:1942年6月に建設開始、43年10月に完成したとされる。父親が通ったのは43年5月、ビルマでの戦争拡大の初期である。1944年3月頃にインド・インパールを巡る戦闘が開始、7月に作戦が中止(敗退)となっている。
2012/09/12