日経の名物コラム、「私の履歴書」の今月の登場は新日本製鐵の元社長、今井敬氏である。当初、「財界人はパターンが決まっているからなあ」と思っていたが、予想していたよりも面白い。
面白いと思った(過去形であることに注意)理由は単純で、そこに日本の大企業の栄枯盛衰の要因を見るように感じたからである。今日から「今井氏の履歴」は直接的な企業経営を離れ、「企業団体活動の巻」に入った。履歴の主要部分は終わってしまったと言える。ということは、総括に入れる。以下、その総括である。
今井氏の若いころの記述には、高炉業界が仲良しクラブであり、その潜在的な力(鉄がないと日本経済が成り立たないという現実)を盾に、日本政府を動かしてきた歴史が記されている。大なり小なり、どの大企業もほぼ同じだっただろう。それが日本の大企業の強みでもあり、その後の弱みになったと思う。
市場の自由化と独禁法の強化は、政府に頼ることのない企業への社会的な要請でもあった。新日鉄がかつての政府と一蓮托生の企業経営からいかに抜けだしたのか(もしくは抜け出せていないのか)、これに関しては何も記されていない。理由はともあれ、これに関して何も書けないというのが、多くの日本の大企業の弱みだろう。
今井氏の役員から社長までの功績は「経費削減」のようだ。それにより事業の採算性を回復し、業績の下支えを行った。しかし、この業績は「私の履歴書」で誇るべきことなのだろうか。今井氏には悪いが、経費削減の仕事は係長か課長の仕事だと思う。
それを社長がやったというのが新日鉄の誇りかもしれないが。もう少し褒めておくと、東電が実質的に潰れるまでやれなかったことを、新日鉄が社内の力だけでやったということになる。
企業の利益や業員の本当の幸せとは、企業自身で自由に分けられるパイが増え、それを従業員と株主に振る舞うことである。この観点から考えると、今井氏は新日鉄のパイを増やさなかった。新日鉄の天下である日本経済に閉じこもり、そこでの利益を必死に守った。言い換えれば、発展性のある海外に打って出なかった。ある意味、リスクを犯さなかったのである。
一方、閉じこもったはずの国内市場は成長せず、従業員に対する報酬を払った後に赤字が残り、株主に分配できない状況に陥ってきた。そこで、従業員に少し泣いてもらい(経費を削減し)、株主への支払いの原資としたのである。
言い換えると、今井氏は堅実だった。サラリーマンとしての鑑かもしれない。とはいえ、履歴書の最初にあった、ちょっとした奔放性は消失してしまっている。堅実か奔放かどちらがいいのか、今のサラリーマンに質問してみよう。案外、「サラリーマンとしての鑑が理想や」との答えが多かったりして。その場合、投資先としての日本の魅力はますます薄れるだろうが。
2012/09/20