川北英隆のブログ

「株式の高速取引」再考

共同研究者である拓殖大学のT氏からメールがあり、昨日発刊の日経ヴェリタスに、9/6アップのブログ「株式の高速取引は何のために」が取り上げられているとのことだった。
日経新聞は講読しているが、その電子版は契約していない。日経ヴェリタスも講読していない。だから、ヴェリタスにブログが引用されていることは知るよしもなかった。
ブログが、知らない誰かにも読まれているということだろう。ついでに書けば、ブログにアップしたアイスランドの火山爆発の写真について、使用許諾願いがメールで届いたこともあった。こちらも「どう使われたのか」詳細は不明である。質問しなかった。
さて、「株式の高速取引」は絶対に阻止すべきものだとは思っていない。しかし、株式取引がテクニカルになりすぎるのは問題だろう。「頭でっかち」と言えば聞こえは少しはいいが、「手が早い」と表現するのがより適切か。高速取引による裁定取引の活発化、流動性(売買可能性)の向上は、株式市場にとって最重要な課題では決してない。
証券取引所という社会的なインフラにとって最重要なのは、企業実態を適切に判断し、株式を購入し、保有してくれる投資家である。その投資家に対して取引所としてできるだけ利便性を提供することである。投資家が容易に売買できることも重要なのだが、投資家を全体としてとらえれば、投資家の誰かの売りは誰かの買いであるから、投資家間の売買は重要度が低い。
このように考えると、証券取引所としても、投資家が保有するのにふさわしい企業を選定しなければならない。同じ趣旨のことを何回か書いたと思うが、証券取引所という老舗の店頭には一流の商品(すなわち一流の企業の株式)を並べなければならない。腐りかけた商品を並べたのでは、証券取引所の信用を落としてしまう。
そこで質問なのだが、現在の東京証券取引所に並んだ企業は果たして一流なのか。品物は大きいが、味は今一ではないのか。小粒でもピリリとしているのか。証券取引所として、どうもこのような吟味が乏しいのではないか。そう思っているから、何回か苦言を述べてきたわけだ。
証券取引所として上場企業の品質を保証しろ、将来値上がりする企業を上場させろと言っているわけではない。腐りかけた企業、賞味期限切れの企業を並べるなと言っているだけである。

2012/10/01


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