一昨日、訃報のメールが入った。同期入社の本多嘉邦氏が亡くなったと。同年代の中で一番活力があると思っていただけに驚きだった。メールに本多嘉邦の名を見た一瞬、朗報と思ったくらいだ。
本多君は支社を経て債券運用のセクションに異動となった。日本生命に入り、証券関係に配属される人数が少なかっただけに、同じ経験をした貴重な同期の一人だった。長崎出身で、実家は漁師だったと記憶している。サラリーマンの子息でないだけに、面白い発想の持ち主だった。脱線するが、現在の日本はサラリーマンの子息が大多数なだけに多様性に乏しいと思う。
僕が債券セクションに配属されて、確か2年間、一緒の部署で働いたと思う。その後、刈谷支社配属となり、それが不満で会社を辞めた。当時、勤務条件の良い日本生命を辞めるなんて誰も考えていなかった時代だから(異常といえば異常だった)、元上司が辞めるのを必死で抑えにかかったようだ。結果はどうにもならなかったのだが。
その後の本多君は外資を転々とした。10社は優に超えていたはずだ。債券の営業が主たる業務だった。3年くらい前に会っただろうか、もう少し働くと言っていた。
同年代が少しずつ亡くなるのは寂しいことだ。しかし、いつまでも全員が元気でいるのも無理なのだから、惜しまれて亡くなるのはある意味幸せかも。前にも書いたが、ビルマ戦線から生きて帰った父親は、「(90を越すまで)生き残って、ついに知り合いが誰もいなくなった」と嘆いていたから。
ご冥福を。
2012/10/14