浅谷輝雄氏が死去されたことを偶然に知った。今日の昼、某氏からいただいた著書をパラパラ読んでいたら、故浅谷輝雄氏とあった。慌てて調べたところ、2011年10月18日逝去とわかった。
1年間知らなかったわけだ。積極的な人付き合いをあまり好まない、(ライオン以外の)ネコ科の動物の性格だから、浅谷さんのことは気にはなっていたものの、ついそのままになっていた。天に向かってお詫びするとともに、保険とファイナンスの境界領域の示唆をいろいろといただいたことに再度お礼を申し上げないといけない。
浅谷さんに初めてお目にかかったのは1984年か85年だろうと思う。可能性として高いのは85年かも。当時、日本生命の中に保険業法研究会なるものが設けられ、そのメンバーとなった。その研究会のアドバイザーとして浅谷さんが参加されていた。「怖い人やで」との評判だったが、会うと非常に理詰めの人で、きちんと説明すると理解してもらえた。
その後、1987年にニッセイ基礎研究所の特別顧問になられた。僕も同時にニッセイ基礎研究所に配属され、研究領域だった資産運用に関して「専門の外にいる者」の観点から有益なアドバイスをもらえた。なかでも、ALMの研究、補償保険、再保険、保険の証券化に関していただいたアドバイスや資料は、大学での研究分野の土台として、今も生きている。
浅谷さんの著書と論文集などを集めてみたところ、「保険業法研究会報告書」(1987年、日本生命保険社内資料)、「アメリカでの再保険の規制から、我国の在り方をどう考えたらよいか?」(1992年、ニッセイ基礎研究所)、浅谷輝雄監修『リスク管理とアクチュアリー』(1992年、金融財政事情研究会)、浅谷輝雄監修『生命保険再生の指針』(2004年、金融財政事情研究会)が書棚にあった。手元にはないが、かつて「比較日本の会社」シリーズの「生命保険」(実業教育出版)を毎年書いてられたこともあった。
著書の奥書によると、浅谷さんは1926年生まれとある。85歳で亡くなられたわけだ。ということは、初めて会ったのは浅谷さんがまだ60歳前の時か・・。頭が丸くて美しい方だったため、当時はもっと老人かと思っていた。
一人また一人と、亡くなられた報告をするのは寂しいことである。
2012/10/29