川北英隆のブログ

日本産業のあり方

日本の産業構造はどのように変化してきたのか。小学校か中学校で学ぶように、農業のウェイトが低下し、次に鉱工業が低下、現在はサービス業が5割を占めている。先進国はすべて大同小異だ。
経団連は製造業の支配力の強い組織である。だから、要望する経済政策には偏りがある。彼らが提案した政策を実行して本当に国民のためになるのかどうか、吟味が必要だろう。
たとえば経団連が声高に叫んでいる円高阻止の政策である。製造業の事業活動は輸出を抜きにして考えられない。だから、円安が業績にプラス効果をもたらす。
他方、日本経済全体で考えれば、現在は輸出額よりも輸入額が大きい。ということは、輸入代金がより安くなる円高が望ましいと言える。「しかし、日本は多額の海外投資を行ってきたから、円高になるとその投資が目減りする」との反論があるだろう。これに対しては、「国内にはもっと多額の投資が行われてきた。たとえば個人金融資産は1500兆円もあるわけだから、円高になって国内投資の価値が上がれば、それは将来の日本国民の購買力を高めることに等しい。やはり円高が望ましい」と再反論することができる。
一言で表現すれば、通貨の高安は国力そのものを反映している。国力が高く評価され、円高になるのであれば大歓迎のはずだ。円高が望ましくないのは、それが急激かつ行き過ぎた場合である。一時的な混乱だけは、できれば避けたいものだ。
それはともあれ、経団連が製造業だけの利得を意識し、円高阻止を叫ぶのは何故なのか。彼らが円高対策を怠ったからである。現在、大慌てで対応しているように、輸出してきたものは、できれば現地で生産することが望ましい。
また、製品の高度化が必要であり、さらには業態を変更するくらいの必死の努力も求められたと思う。
「中国の安い製品が輸入され、デフレをもたらしている」と主張しているが、平凡な製品の製造技術は、資本力さえあればすぐにキャッチアップされてしまう。日本が欧米にキャッチアップしたのと同じことである。
「物作り」日本の勇ましい掛け声はともかく、製品の高度化だけでは十分な対応とはならない。IBMのように、物作りから離れてサービス提供業者へ大転換する模索も、早い段階で必要だったのではないか。新興してきたアメリカの大企業は、マイクロソフト、グーグル、アップル、アマゾン、フェースブックをイメージすれば理解できるように、彼らのビジネスの基本はサービスというか仕掛け作りにある。パソコンや端末やネットという「物」は手段としてのみ意識され、それらを基本単位として壮大なシステムを組み立て、利益を生み出している。
こう考えると、経団連として本来主張すべきことは、既存の規制(社会システム)を新たなサービス提供に向けて変革することではなかったのか。貿易の規制、通信や電力網に対する規制や既得権益、公的インフラの利用に関する規制、それらを時代に合ったものに手直しすることが重要である。
アマゾンのキンドルが日本に上陸した。しかし、その爆発的普及には(それが国民の利便性を高めるだろうが)、著作権はもちろん、出版物の再販売価格維持制度という独禁法適用除外の既得権益が障害となる。経団連はこの既存の制度の変革に向け、どの程度の努力をしようとしてきたのか。これまでの電力制度のように、仲間内の既得権益を守り、さらに自分達が新たな利益を得ようとするのは、いくらなんでも虫が良すぎるように思うし、本来の経営者の発想ではないだろう。

2012/10/30


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