日経新聞の経済教室に記事を書いた波及効果が出ている。複数の(2、3ではない)問い合わせがあり、それに合わせて議論を続けている。その議論の過程で、「なるほど」という示唆がいくつかあった。
その1つが事業ポートフォリオ(複数の事業の組み合わせ)の年齢に関するものである。ある事業には年齢がある。単純化すれば、成長期、壮年期、衰退期である。その事業の推移を年齢で表したとして、たとえば投資しようとしている企業の事業ポートフォリオの平均年齢が何歳かが大きな問題となる。高齢化していれば、将来の企業全体の収益力が低下するのは明らかだ。ということは、企業経営者として、事業ポートフォリオの平均年齢を老齢化しないように努力しないといけない。では日本企業が、事業ポートフォリオの年齢をどの程度気にしているのだろうか。
某保険業界では、外務員が既契約者や白地先に対して頻繁に訪問し、保険を販売することで収益を確保してきた。しかし、農村が高齢化し、都市は夫婦ともにサラリーマンとして働くケースが多くなり、そのサラリーマンの職場への立ち入り規制が厳しくなった時代において、訪問によって保険を販売するモデルがどの程度の効果を示すのだろうか。結論は、老齢化したモデルと言わざるをえない。かといって、新しい販売モデルを導入するのは、既存の外務員モデルを自ら壊すことになる。どうも、保険業界のモデル自身、老人の一人暮らしに近くなっているように思えてならない。現在の経営者の責務は、この難局をいかに打開するのか、そのアイデアをできるだけ早く提示し、実行することだろう。
シャープは液晶に特化するあまり、その市場での主導権を失った瞬間、企業全体としての窮地に陥ってしまった。新しい事業の芽を育ててこなかったためだろう。もちろん、液晶事業を深化させて利益を得るとの自信があったのは確かだが、ある意味、老齢化した事業にカンフル剤を大量注入するに等しかったのではないだろうか。カンフル剤とは、大量の費用だけがかさみ、効果の少ない資源の投入方法だったと思う。
このシャープの事業の象徴が、コマーシャルへの起用が続いている吉永小百合だろう。別に吉永小百合を嫌悪しているわけではないし、我々の年代からすると、吉永小百合が永遠の(下品な用語だが)アイドルであって欲しいと思う。だからこそ、年老いた姿をコマーシャルに晒してほしくない(実のところ、それほどまでの吉永小百合ファンではないのだが)。それなのに、吉永小百合を使い続けるシャープは変だと、実はカミさんがかなり前から叫んでいた。最近まで、カミさんの意見には「どうでもええのに」と思っていたのだが、シャープが危機的状況に陥ると、「さすが女の勘や」と思ってしまう。
今日、東京駅の階段にさしかかった時、JRが同じ吉永小百合を起用しているのを見て、「ああ、シャープや」、「で、この鉄道会社は大丈夫なんやろか」と思った次第である。
2012/11/15