6/1の日経新聞朝刊のトップは「原発廃炉 利用者が負担」というものだった。利用者負担の理由がいろいろ書いてあるが、納得的でない。経産省の守旧派の役人の案なのだろう。
役人(それと同等の組織)にはいろんなタイプがある。
経産省は、僕が2年間お世話になった役所であり、尊敬すべき役人が何人もいる。そう言えば、村上某も通産省である。つい先日までの株式市場の体たらくについて関係者と議論していると、「村上氏のような投資家が消えたのが惜しい」との声もあった。
その一方、前例主義、上の指揮でしか動かない、外部の声を完全に無視する、自己弁護に徹する、そんな典型的な「役人」もいる。6/1の日経新聞朝刊を読んでいると、記者も理解していないのかもしれないが、「変やん」、「役人はどう説明したのや」と思える。
40年は稼働すると想定した原発が、それ以前に廃炉になると、引当金不足と、資産価値が残っているうちでの除却損が発生するため、電力会社の負担が大きくなると書いてある。でも、この2つの理由は同じことを言っているにすぎない。
30年稼働した原発を廃炉したとしよう。この原発がさらに10年間稼働したとすれば、利益が生み出されるはずで、その利益の一部が廃炉のための費用として積み立てられ(すなわち引当金が積み立てられ)、廃炉のために使えたはずだ。一方で、残り10年間稼働して利益が生み出されるはずだったから、これが原発の資産価値を形成する。
つまり、引当金の積立と、原発の資産価値は同じものでしかない(正確には残り10年間で生み出される利益の一部が引当金となるので、完全には一緒ではないが、引当金を越えた利益を諦めれば、完全に一緒となる)。新聞の書き方は、あたかも二重で損失を被るように書いてあるが、これは間違っている。日経に情報を与えるに際して、経産省がこのように説明したのだろうとも思える。そうだとすれば、役人としての意図が感じられる。
もっと言えば、原発が40年間稼働するとの想定が本当に正しかったのかと、胸に手をやり、考えないといけない。2011年3月のような事故がないと想定し、原発の稼働を許可したのだとすれば、それは経産省の大きなミスである。不確実性を想定し、それを目に見えないコストとして算入して、原発の全コストを計算した上で、稼働の可否の判断を下す必要があったはずだ。この認可のための基本原則を忘れていたから(原発は100%安全だと信じていたから)大事故が生じ、電力料金の計算が狂ったのである。
この事実の反省をどうするのか。それなしに、電力会社が苦しいから、廃炉のコストの利用者に転嫁をしたいと言われても、誰も納得しないだろう。
2013/06/02