と題するほど大袈裟なものは短期間の滞在で書けるはずもないが、イランの経済的な豊かさが感じられた。子供と老人の割合もそんなに高くなく、均整がとれている。民族の気質は積極的なようだ。
イランの以前に訪問した国がエチオピアだったから、その対比が際立つのだろう。道路は整備され、フランス車が多い。プジョーがイランに工場を持っている。日本車は高く、高級だそうだ。写真はテヘラン市内(少し外れ)である。
プジョーの例でも分かるように、1900年前後から第二次世界大戦にかけ、イギリスがイランを実質支配していたことから、その対抗勢力としてのフランスとの関係が良好だったのだろう。現在、このフランスとの関係は核開発をめぐって怪しくなっているようだが。
イランではバイクの多さも目立ったが、自転車はほとんど見なかった。この事実に帰国してから気づき、自転車の像を思い出そうとしたが、マウンテンバイクに乗っている子供程度しか出てこない。
食料品、日用雑貨の店は多い。品揃えも豊富で、欲しいものはアルコール以外、すぐに手に入る。現地の感覚からすればどうかは不明だが、日本人の感覚からすると、リアル安のおかげもあり、物価は安い。なお、ガソリン価格は政府の補助があり、日本の1/10程度である。
話は前後するが、イランの人口は7000万人(うちテヘランは周辺部を入れると1200万人とか)、国土面積は日本の4倍強、1人当たり所得は5000ドルを超え、タイはもちろん、韓国よりも上である(世界国勢図会による)。人口の増加率は低くはないが、高くもない。人口爆発のコントロールに成功したとも聞いた。
核開発に基づく経済政策を受けていなければ、また1979年、パーレビ(パフラヴィー2世)国王が追放される直前、三井物産などが手がけていた石油化学プラント事業などの工業化政策が実を結んでいれば、イランはどんな国になっていたのか。特定の宗教と異教、宗教と経済の関係はいかにあるべきか、考えさせられる。
2013/07/07