今年の梅雨入りと梅雨明けは異常、関西は梅雨入り後に晴天が続き、時折猛烈に強い雨が降った。祇園祭の山鉾巡行の日は比較的天気が良かったが、雲も多かった。そんな中、メルビルの世界があった。
そんな梅雨の日には、太陽が雲間に隠れながら、半分程度姿を現すことが多い。でも、すぐに姿を隠す。月も同様である。そんな、人間の営みを覗き見するような太陽や月の姿をふと見かけると、思い出すのが、「白鯨」(1851年)で有名なメルビルの比較的短い小説「Bartleby」(1853年)である。「Bartleby the Scrivener」という題名も使われているらしい。Scrivenerとは代書人のこと。
この小説は大学時代の教養課程での英語の教科書だった。最初、「メルビルはこんなのも書いたんや」と思った。単語が難しかったものの、読むにつれて「スラ」くらいには達したと思う。これが僕の英語のピークだろう。社会人になり、英語は使わなかったし、留学のチャンスも与えられなかったから。
その中に、靄だったか何だったかは忘れたが、時々刻々変化する濃淡の中、太陽が片目で意地悪く、かつこっそりと覗くように顔を出すという表現がある(そうだったと思う)。メルビルは捕鯨船の船乗りだった経験があり、辛酸を味わったらしい。その時の体験が小説の表現に生きている。それだけに、太陽がこっそりと覗くように顔を出す、この表現が極めて新鮮だった。
この小説を(当然、途中まで)読んだ後、3回生の夏、知床半島の羅臼岳から硫黄岳まで縦走した。羅臼岳の直下でテントを張り、翌早朝に目を覚ますと霧の中だった。歩き始めると、ようやく国後付近から太陽が顔を覗かせ、輪郭が現れては消えつつ、見え隠れした。その瞬間、「あのメルビルの世界だ」と思わずにいられなかった。それ以前、北アルプスでも同じような光景に何回も出くわしているはずなのだが、太陽の見え隠れする側が、海を隔てた仮の(日本が認めていない)国境だと思うと、迫力が違ったのだろうか。
ということで、そんな太陽や月を見ると、メルビルを思い出し、さらに知床を思い出す。生きているうちに国後の名山に登りたいと、ついでに思う次第である。
2013/07/18