先日、飲み会で話をしていると、イランに親戚(叔父さん)がいるとかの間接的な知人が登場した。イランと日本とのつながりは強いのだと思いつつ、情報交換すると、猫の話題になった。
その知人からのメールによると、「ペルシャ猫はイランのもの」、「宗教的なことで犬と同様、猫も家で飼われることはあまりなく、数も少ない」とのことである。かつてペルシャは優雅な猫の発祥の地となったものの、その後は差別されているのだろうか。家で飼われないから、写真の猫のような器量良しでも野良猫となるのだろう。でも、公園のお掃除オバちゃんのように、猫を大切にする人間もいる。ネットによると、犬を飼うこともこっそり流行っているとか。
イスラムでは人間の男が圧倒的に偉い。人間であっても女性は地位が低い。現在の大峰山がそうだが、かつての日本の山岳宗教の霊場と同様、女性は不浄なものとして扱われているのだろうか。本当は重要なのに。
ましてや、動物の存在は薄い。衣服の材料を得るため、その他の役に立つためだけに存在していて、食べられないのなら、もしくは不浄な物をなんでもかんでも食べているのなら、相手にされないような。この点で、犬や猫は役立たずに近く、尊敬されないのだろう。
ちなみに、番犬は認められているらしいので、人間の直接の役に立つことは尊いようである。それじゃあ、猫の「癒し効果」はどうなるんやと問い詰めたところで、それは精神的にひ弱な日本だけに通じる論理だろう。そう思う。
2013/07/27