川北英隆のブログ

ガロ

藤圭子で思い出したのがガロである。同じく、結末は寂しかった。しかも僕にとって、ガロはもう少し親近感がある。というのも、学生を終える時期に「学生街の喫茶店」が流行っていたから。
そんな芸能関係に、そもそも無関心だったが、隣に下宿していた1年下の学生、S君が歌っていたし、窓越しに、やはり下宿屋だろう、遠くから音楽が聞こえていたように思う。
当時の喫茶店は学生にとって、学生であることの象徴みたいなもので、たむろし、議論し、居眠りしていた。クラブの夏の山行の計画も、かなりの部分は喫茶店で決めたし、毎年、新入部員に必要な装備の指示も喫茶店で行われた。だから、「・・訳もなくお茶を飲み話したよ、学生でにぎやかな・・」は、当時の学生時代の光景そのものだった。
それだけなら「あたりまえやん」で終わったかもしれない。加えて、この歌が流行ったのが僕の4年生(京都では4回生)と重なっていたのが、ガロに親近感をいだくもう1つの背景だろう。
卒業することは3回生のときに決まっていた(卒業単位を満たしていたから)。かといって、進学する気もなかった。そんな冬のある日、京都の下宿の屋根に大雪が積もったので、それを肴にS(SU)君ともう1人、S君の同級生で同じ下宿屋の、何とやっぱりS(SA)君が送別会的なことを企画してくれた。ウイスキーやブランデーや、その他忘れたが、しこたま雪割りにして飲んで、めちゃくちゃ酔っ払ったのを覚えている。このようにガロとともに卒業し、いつかガロも消えた。でも、SU君とはその後も何回か会ったし、SA君とも1回会った。
それで、元の大学周辺の喫茶店だが、今でも老舗(S堂)は残っている(今日はSづくしだ)。京都に戻り、1回だけ、同じ大学卒の元上司が「川北君」と訪れた時に「懐かしいなあ」と連れられて入ったことがある。その前にも後にも入ったことがない。表通りに面しているが。
S喫茶店の感想は、こういうものは過去のイメージだけに留めておくべきであり、現実に直面すると「何じゃ、こりゃ」になってしまうというもの。藤圭子も、ガロの主力メンバーも、いずれも自分自身のことだから、現実に否応なしに直面し、毎日が「何じゃ、こりゃ」だったのかもしれない。一方の僕は、その喫茶店に入らなければ、「何じゃ、こりゃ」に直面することはない。そんな「懐かしいな」と喫茶店に入る趣味もない。

2013/08/23


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