先日、記者から取材を受けた。お題は、「投資家が積極的に株式を買うには」というようなものだったか。株式市場が冴えないのは、4/12のブログに書いたように、投資家だけの責任に止まらない。
今の投資家がいただけないことを否定しない。記者との会話の中でも「サラリーマン投資家」という表現が出てきた。20年くらい前、今は早稲田の大村敬一さんが使い始めた用語である。どういう状態を指すのかは使う者によって異なるが、いずれにしても大きな決断をできない、それでいて一見プロのような顔をしている投資家だと理解している。最近の僕の著書では「現実の市場に照らし合わさず、理論だけを鵜呑みにする」一見プロの投資家として使っている。そうか、プロであるべきなのにプロとしての行動を起こせない投資家がサラリーマン投資家かもしれない。
とはいえ、投資の世界においてプロが絶滅危惧種になったのは、投資のプロ自身が悪かったわけでなく、そこから獲物がいなくなったためだ。投資家の獲物とは、非常に大きな収穫、すなわち利益をもたらしてくれる企業である。日経平均株価もTOPIXも、1989年の最高値を抜けないでいる。もちろん高値を更新した企業もあるわけだから、証券市場で獲物を見つけられないわけでない。しかし、そんな獲物も希少となった現在、投資家が嫌気をさしてしまうのも当然だろう。獲物の乏しいところにプロの投資家は育たない。
ここまで書くと、「でも海外に目を向ければ、獲物としての立派な企業がいろいろあるのでは」との質問が飛び出すだろう。本当のところそうなのだが、そういう発想が一般に浮かばないらしい。このため、獲物のいない国内から目を転じることができない。この状態が何故生じているのかというと、証券投資に対する知識の不足だろう。
某総理経験者が「株屋」発言をしたのは記憶に新しい。証券に投資することは卑しいとの発想である。そんな発想だから、日本人は真面目に株式も債券も投資対象として考えていない。靖国神社に参拝することは大臣であっても許されるのに、証券会社に近寄ることは汚らわしいらしい。そんなことだから、学校で証券投資をまともに教えられない。このため、証券投資への発想が豊かにならない。
日本の証券市場が活性化するには、言い換えると証券投資でそれなりに儲けられるようになるには、証券投資に対する偏見が消滅し、教育が充実して企業に対する目が肥え、企業が立派な事業を行って利益を投資家に手渡すようにならないといけない。これが証券市場の三位一体である。
「投資家が消極的だから」、「もっと気合いを入れさせよう」との発想だけでは、株価が人為的に持ち上がるかも知れないが、これは一種の株価操作であり、悪循環するだけだ。これから先の25年間、やはり1989年の高値を抜けないままかもしれない。
ひぇー、半世紀も高値を抜けない市場って何なの。その状況に対するコメントを今から考えておくべきか。でも、こっちは生きていないかな。北方領土の返還を待つのと同じかもね。
2014/04/20