「公的年金運用を考える」として日経の経済教室で議論が展開されるらしい。4/24は伊藤隆敏氏の持論が展開されている。4/25に誰が登場するのか知らないので早計かもしれないが、まずは異論を。
公的年金を論じる場合、一般には現在の制度を変えられないものとして議論している。これは日経の(そもそも世論一般の)大いなる誤りでしかない。そもそも、今後の公的年金の対象をどうすべきなのか(現在の制度でいう基礎年金だけなのか、報酬比例部分を含むのか)、そこから考えないといけない。また、公的年金の対象(つまり、政府にとっての負債)を固定的に考えたとして、年金ファンドが何のためにあるのか(政府のためなのか、国民のためなのか等)を決めた上で議論すべきである。
伊藤氏の議論には現在の公的年金の枠組みの中で、資産配分をどのようにすべきなのかが示されているだけ。しかも、現在の資産運用の枠組みを暗黙のうちに是認しつつ、その配分比率の修正だけを論じている。この点で物足りない議論となっている。
とはいえ、株式市場関係者にとって嬉しいことに、もっと積極的に株式投資をすべきとの議論である。その時、株式とは国内なのか海外なのか、曖昧なのは問題だろう。外国株という単語が経済教室の中にも出てくるとはいえ、論旨からすると日本株が念頭にあるようだ。しかし、そうだとすると、投資対象(専門用語でいうアセットクラス)の選択基準はどうなっているのか、分散投資を勧めているわりには集中投資になるのではないか、日本の株価を上げるためだけに(言い換えれば国家による株価操作のためだけに)公的年金が使われるのではないのか、公的年金の積立金は完全に政府の資産として認識されてしまっているのか等、いろんな疑問が生じる。
また、国債に対するスタンスがよく理解できない。市場金利が上がって(つまり国債価格が下がって)損失が出るのであれば、公的年金が保有している国債を何故もっと売って、ゼロ保有にまで持って行かないのだろうか。同時に、公的年金が自らの損失を避けるために国債を売るわけだが、その国債を買うのは日銀である。公的年金も日銀も広い意味での政府機関だとすれば、この売買は単純に損失の付け替えを狙ったにすぎないのではと、思えてしまう。
結論は、伊藤氏の議論は現在の内閣には心地よいだろうし、株式市場関係者には歓迎なのだが、公的年金問題と株式市場の構造改革にはあまり役立ちそうにない。ひょっとすれば、将来に禍根を残しかねない。もっとも、最終的な責任を取るのはトカゲの尻尾ともいうべき公的年金の資産運用の実施機関、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)であり、ツケが回されるのは将来の国民なのだから、現在の内閣は結局のところ高みの見物でいられるのかもしれないが。
2014/04/25