「公的年金を弄ぶな3」で「紺屋の白袴」と書いて思い出したことがある。紺屋や袴なんて古めかしい世界ではなく、現にある世界に対して「こんなことやから世の中が少しも良くならん」と思う。
それは、証券会社に少しでも勤務すると、証券取引が大きく制限されることである。もちろん証券取引に関与した過去の経験から十分知ってはいたが、そんな世界から10年以上離れてしまい、ネット取引という非常に自由な世界を一度経験してしまうと、証券会社勤務の制約を改めて痛感する次第だ。
実は先月末から証券会社の世界に少しだけ足を踏み入れてしまった。このため、証券取引に再び制約を受けるようになった。
証券会社や証券取引に関与すると、上場企業の内部情報に接近する機会が多くなる。そうするとインサイダー取引禁止の法規制を破ってまで証券取引を行い、濡れ手で粟的な利益を得たいと思う輩が出てくる。そんな不正な行為を予防するため、証券会社や金融機関に勤務している者に対して、証券取引に一律に規制がかかる。実際のところ、内部情報に触れられるのは限定された者だけなのだが(過去の経験からそう感じている)、悪いことをして儲けようと積極的に情報収集すれば、内部情報を相対的に得やすい立場にあることも確かなのだろう。
ここまでは理解できる。しかし、最近受けた取引規制は海外株式も国内株式も一律である。債券も国債を含め、内外とも同じである。このため、為替の売買も自由にできない。
ここまでくると、取引を規制する理由がどこにあるのかと疑問に思ってしまう。海外株式に関する内部情報が日本にあるとは思えない。国債に関する内部情報とは何なのか。謎だらけである。
要するに、不正行為を監視する機関(日本の場合、証券取引等監視委員会)が売買情報を簡単に集められないような、「情報における発展途上の国」だからこその規制なのかも。
新聞記者も同じらしい。先日、取材を受けたついでに喋っていると、何も自由に売買できないとのことだった。
証券会社、銀行、新聞社など、証券取引と一番身近にあるべき職種の者が証券取引の手足を縛られているから、「どういうのが望ましい証券取引なのか」体験できない。この結果、日本の証券市場が旧態依然としているのではないだろうか。だから偉そうなオッちゃんに、すぐに「株屋」呼ばわりされるのではないか。そう思いつつある。
2014/04/28