川北英隆のブログ

奈良盆地の東山・城山を再訪

今日、奈良盆地の東山を歩いた。京都と比べて平均的な背は低くない。かといって北側には愛宕山や比叡山ほどの高い山もない。高原状になっていて、盆地から見ると高度があり、格好がいい。
実家の郡山の真東付近に2つ山がある。城山と国見山である。ともに北側が切れ落ちたように見える。実は昔、国土地理院の地形図に国見山の名がなかった。その国見山は680メートル、奈良盆地の東山として一番背が高い名無しというのも、何かの皮肉か。なお正確には、盆地の南東の山は900メートル級だが、盆地の北側からだと目立たない。
それはともかく、郡山や奈良付近から見ると目立つ国見山を、中学生の頃は地形図に名前のある城山(528メートル)かと思った瞬間があった。標高をよく見ると、それが思い込みではとすぐに判明したが、でも「ひょっとして盆地から680メートルの頂上は見えないのでは」と思ったりもしていた。というのも、城山は国見山の懐に抱かれるような比較的小さい山だから、山々の稜線がはっきりとする空気の澄んだ日か、コントラストのはっきりする雨天の前後にしか稜線と頂上が見えない。
その城山に登ったのが山を好きになった大きなきっかけだと思っている。記録では(後で思い出して書いた記録だから多少誤っている可能性があるものの)、1964年5月とある。父親が買ったレオ(三菱自動車の3輪車)でいけるところまで登った。途中で道が狭くなり、不安になったので、田植え後の野良仕事をしているお婆さんに道を聞いた。すると、山頂まで案内するとのことになり、実際に案内してもらった。
頂上直下まで、わかりにくいものの、明るい道だった印象がある。山頂には神社があり、北側が切れ落ちていた。その北斜面にホウの大木があり、ほのかな芳香のある白く大きな花を咲かせていた。
今日は、その道をたどることにした。有名な帯解(おびとけ)でJRを降り、東に向かう。高樋(たかひ)の集落で沢が近くなる。分岐があるので、正暦寺(しょうりゃくじ)のある菩提山川に沿って少し行くと、右手に椿尾(つばお)橋がある。その橋を渡り、車道を尾根に向かって登っていく。後はこの車道を忠実にたどっていけばいい。北椿尾の集落を通り過ぎると舗装が終わる。軽四輪がやった通れる程度の比較的平坦な道が尾根の北側を巻くように続いているので、それをあくまでも忠実にたどる。集落を過ぎると木々が生い茂るだけで、田んぼはなかった。老齢化で耕作を捨てたのだろう。
緩い沢状の箇所を過ぎると、登りが急になる。峠の雰囲気が漂うと、左手に分岐が現れる。その分岐をたどり、すぐ次の分岐を右手に登れば頂上に着く。
頂上の下に神社があった。ホウの大木はなかったが、何本かのホウが大きな黄緑の葉を広げていた。頂上からの展望は、昔と一緒で何もない。木々の茂み以外にあるのは、土に埋もれた三角点だけである。

2014/05/10


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