川北英隆のブログ

奈良盆地の東山・七曲峠

国見山の頂上に達して当初の目的を達成した。しかし問題が残っている。大和高原は公共交通の手段から見放されていること。歩いて来た者にとって、どう盆地に戻るかを解決しないといけない。
そこでイメージしたのは先程歩いた車道に戻り、少し南に下ってから、西に向かって峠越えをし、盆地に戻るルートである。あわよくば、高校時代に授業をサボって友達数人と歩いた高峰山(632メートル)を再訪できるかもとも思った。
最初の難関が車道に戻る方法だった。分岐のあった峠まで戻り、そこから南に下ってショートカットで車道に戻ろうとした。少し心配だったのは、地形図にあるそのショートカットの道が途中で分断されているかのように印刷されていることだった。「印刷の都合でそうなったのかな」と呑気に構え、イメージどおり南に下った。良い道だったが、石仏のある広場で道が途切れた。斜面が崩壊している。「この崩壊で道が途切れたのか」と理解し、崩壊地の手前の小さな尾根を下ることにした。車道まで高度差50メートルくらい、「大したことないやろ」との判断だった。
実際はというと、城山からの道よりも酷かった。藪が深く、しかも道路の直前は崖になっていた。適当に崖を避けて道路に出たが、リュックや靴は木の葉まみれになった。ということで、今回は2回も藪山を体験することができ、「かつて鍛えた藪山歩きの技術か蘇ったかな」ってところか。というか、奈良の里山は手強いというのが本当のところだ。
それはともかく、車道を南に下り、国見山の南の別所という集落を外れた所で、「七曲り道ハイキングコース」なる標識を見つけた。地形図を見ると、越えようとしていた峠の西側の道は「くねくねと曲がり」まさに七曲り道ハイキングコースである。さらに言えば、峠の前後で南側の尾根筋に続く道を見つけられれば高峰山を越えられる。
七曲峠は別所の分岐からすぐだった。峠には石仏がある。一際大きいのが「受取地蔵」、1253年に作られたらしい。標識には「古道伊勢街道」とも書かれている。ますます奈良は奥深く、油断ならないとの思いを強くした。生まれが奈良の者にとっても、そうだ。
写真は、その峠を800年近く見守ってきた受取地蔵である。艱難辛苦を受け取ってくれるのだろうか。
受取地蔵.JPG

2014/05/12


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