今日、日本ファイナンス学会が中央大学多摩キャンパスで開催された。朝10時からのセッションの出番に間に合うよう、京都を5時台に出た。帰りに、ふと思い立って京王線を使って新宿に戻った。
朝の10時に京都から多摩はなかなか面倒な旅行だった。今は時刻表の検索も簡単にできるので、数回試行して乗る電車を決められたが。それで、家から4回乗り換え、5線を使った。京都市営地下鉄で京都駅に出て、新幹線で新横浜まで、新横浜から横浜線で橋本まで、橋本から多摩センターまで京王相模原線、多摩センターからモノレールに乗り換えて目的の中央大学・明星大学駅へ。電車だけで3時間半かかった。
帰りは東京に出たかったので、モノレールで立川にまず出ようかと思っていたが、モノレールが高幡不動に止まったので、京王線で新宿に出ることにした。多摩川を渡り、府中まで戻るとよく知った駅名が出てくる。調布はかつての最寄り駅だったので楽しみだった。
1977年から89年まで三鷹市大沢に住んでいた。三鷹市といっても完全に外れで、道路を挟んだ向かいが調布市だった。JR(住み始めた頃は国鉄)の最寄り駅は武蔵境(武蔵野市)だった。調布までは歩いて25分程度、武蔵境までは50分程度かかった。バスで武蔵境か三鷹に出るのが正規の通勤ルートだったが、バスは混むし、朝は遅れるので、いつ来るかわからない。そこでいつかしら(1980年頃だったか)、行きは調布まで歩くことにした。買い物も調布によく出かけた。
電車(特急)が西調布を過ぎたので窓から調布の街がどう変化したのか確認しよう身構えたところ、じきに電車は地下に潜ってしまった。新宿方面行きの調布のホームは地下3階にあるらしい。アナウンスによると八王子・高尾山口と橋本方面行きは地下2階だとか。ちなみに地下1階が改札口になっているらしい。調布を発車して電車が地上に戻ったのは、布田と国領を過ぎてからだった。
調べると調布駅が地下に潜ったのは2012年8月とのこと。今回は早朝からの移動のため、調布で下車する元気はなかった。次の機会があれば地上から調布の変化を観察したいものだ。ついでに長い間無沙汰している布多神社にも行きたいと思う。
2014/05/31