身近な国、タイにクーデターが生じた。激しい流血のクーデターではなく、静かなものだった。一方、中国も辺境部でいわゆる「テロ行為」が後を絶たない。厳格な統制の国で何が生じているのか。
タイには何回か行き、その豊かさを実際に見てしまった。その体験から判断するに、働く必要に乏しい国である。だから、国全体が一丸になり、一つの目標に邁進する必要がないのだろう。今の豊かさを守ればいいと言える。
だから、一見大人しそうな「微笑みの国」に激しい闘争が生じる。でも、闘争とはいえ、内戦状態にまで持ち込もうという意思にも乏しい。たかだか小競り合いである。だから適当に収束するわけだが、そうかといって完全に収束したわけでもない。次のラウンドまで闘争は持ち越しというわけだ。
中国は、その歴史からするに、中原(中国の平野部)と辺境との抗争の歴史である。最終的に中原には豊かな農業があり、物資を生産していたから、経済力で勝っていた。だから、その豊かな中原を誰が制圧するのかの争いでもあった。一方、辺境の民族はその中原の経済活動、交易活動に依存していたから、主役であり続けることができなかったわけだ。
結局のところ、その中原と辺境との抗争により、長期的に漢民族は周辺民族よりも優位に立ち、支配権を広げていった。これが歴史的な事実である。チベット、ウイグル、モンゴル、満州、はたまたベトナムと国境を接する南部地域が漢民族の支配下に入った。現在の国境が固まったといえよう。しかし、これらの地域を旅行すれば、現地の民族が不満だらけなのは明らかである。僕の経験からすると、チベットがそうだった。内モンゴルには旅行していないが、話しを聞くと、モンゴル語の消滅に関して反発をいだいているようだ。満州も、知り合いが書類に自分自身のことを「満州族」と書いていた。ウイグルは現在の事件からして推して知るべしである。ベトナムは漢民族の支配下に入らなかったが、歴史的に何度も戦争があったし、ベトナムに旅行すると漢民族を好いていないことが分かる。
以上は少し考えただけのブログだが、ここからの結論は、民族性は歴史的に大きく変化しないのかもしれないとのこと。繁栄すればするほど、その時代には、地理的条件に育まれた民族性が表面に出てくるように思う。
では日本はどうなのか。タイとは少し異なるものの、豊かな国だと思う。それに大陸から離れていることもあり、民族的に単一性が高く、きわめて従順なように思う。すぐに「右向け右」に従うわけだ。地理的、気候的にもう少し貧しく、また他民族との抗争がもう少しあったのなら、日本においてグローバルな発想と闘争心が高まったかもしれない。でも、この「理想の状態」と現状を比べて、どちらが幸せかを判断するのは非常に難しいが。
2014/06/02