今日の夕方、飲み会があった(朝から飲まんやろ)。以前から親しいN氏(某投資会社社長)を京都に迎えての雑談会である(飲み会は雑談とほぼ相場が決まっている)。とはいえ予想通り有意義だった。
その中で印象に残ったのは、京都企業が何故元気でユニークなのかの議論である(雑談とは少し違うかも)。京都が長年の都であっただけに、優秀なDNAが集積されているのではとの説が展開された。文化が次の文化を生み出すと言い換えてもいい。
N氏が引き合いに出した事例は、明治初期、下北半島に元会津の人々が半分島流しにあったが、その会津を出自とする人達が抜きん出て優秀だということだった。もう少し言うと、その地域に集められた原子力施設の技術者として元会津出身者の働いている率が高いとか。以上の事実からして、京都も同じ(というか、それ以上にDNAが集積されている)と結論していた。
DNA説はともかく、既存の文化は生き方のヒントとなる。良い側面を見ると、「賢い」、「洗練された」、「過去の失敗例も糧とした」生き方のベースを提供してくれる。親を見て子が育つため、良い親の下によりすばらしい子供が育つという理屈である。もっとも、悪くすると権威主義に陥るのだが。
もう1つは京都の気位を指摘すべきだろうか。適例として、他人の真似を恥とする文化である。真似して成功しても誰もほめない。隣りの府県、大阪とは大きな差である。京都が大衆文化ではなく、貴族の文化だったからかもしれない。この点は今後の検証に待たないといけないが。
以上、京都企業をテーマとした僕自身のメモである。
2014/06/04