午前中、農中信託の奥野氏の講演を聞いた。奥野氏の持論がいろいろと披露された。それがこのブログの表題である。『「市場」ではなく「企業」を買う株式投資』でも書かれていたと思う。
両方ともその通りだと思う。歴史に学ぶことが多いとは、他のアセットマネジメント会社の社長も言っていた。もちろん、まったく同じ繰り返しはない。時間の推移と事象の変化の本質部分が類似する、そのことである。今日の講演ではゲームソフトの栄枯盛衰が例として取り上げられていた。現時点で生じていることに目を奪われるのではなく、一歩退き、客観的に評価することと、その評価に当たって「過去によく似た事例がないのかな」と、頭の中と文献を探してみることが重要である。
街歩きの事例は、まさにそのとおりである。ぼやっと歩いていてはダメである。感覚を鋭くし、世の中の流れを把握することが1つである。大学教員の例では、とくに社会系の場合、研究室に閉じこもって文献を読むのは効率的なようでいて、本質を見失う危険性がある。
もう1つは、気づいたことについて「何でやろ」と考えることである。今日の講演ではスタバとドトールの比較があった。僕はコーヒーを好んで飲まないので(とくに、まずいコーヒーの口中に残るウンコ風の臭いが嫌なので)、僕にはよく分からなかったが、スタバのコーヒーは雰囲気の値段含みだそうだ。コーヒーだけなら(皆そう言うが)コンビニで十二分だと。また、本当の街歩きではないが、ネットをいろいろと渡り歩くのも同じ意味で役に立とう。特定のサイトにのめり込んだのでは意味なしだが。
僕の体験を1つ。1980年代半ば以降のバブルの直前、街を歩いていて気になることがあった。車の、大きさや用途を示すナンバーが1桁から2桁に変わりつつあることに気づいたのである。それも「3」ナンバー車で。今と違い、当時「3」ナンバーは少なかった。その2桁へのナンバーの変化について、「ひょっとして、景気の大きな上昇の波が来たのでは」と感じた。実際、その後、5年以上の景気の上昇とバブルが来たわけだ。
ぼやっと街を歩いているだけでは損である。通勤はもちろん、用事で街を歩くときが、実は最大のチャンスかもしれない。
2014/06/26