川北英隆のブログ

島津製作所と京都の自負

今日、台風が関西の南を通過しようとしていた丁度その時、島津製作所の服部会長の話しを聞いた。やはり京都企業の行いが良いのだろう、台風の影響はほとんどなく、今日の講義が終わった次第。
島津製作所の原点は京都の工芸にある。江戸時代に仏具を制作していたとのこと。そこまでは知らずに、つい先日、今後の仏壇はクラウドにと書いてしまったが、先進的な京都人なら笑って許してくれるだろうか。ますます横道に逸れるが、京都に来て、仏具関係の職が多いのに気づいた。京都が宗教の街、むしろ宗教を利用した観光の街だからである。宗教であれ観光であれ、その彩りとして仏教に関する職業が栄える。今では和食も宗教関連だと思う。これが(日本政府から独立した職業の繁栄こそが)京都の強みかもしれない。
その島津から分かれた企業としてGSユアサが有名である。アナリストにとって常識に近いが、そのGSとは島津の創業者、島津源蔵の頭文字である。その工場跡地は現在、同志社大学の校舎となっている。実はそこで2年間教員をしていたものだから、顕彰碑のあることもよく知っている。
島津の伝統は最先端の科学技術を追求してきたことにある。残念ながら、その製品は誰しもが使うものでない。しかし、日本の社会と産業の基盤を支える最先端の製品であるのも確かである。そんなに大儲けできない(付加価値は高いのだが、大量に売れるものではない)製品ながら、日本にこの企業があって良かったと思えるのが島津だろう。
だから京都で100年以上事業を続けている(1860年に初代源治郎が島津の原点となる店を構え、1875年に株式会社化した)。しかも、東京ではなく、世界を目指し続けてきた。その例がレントゲンだそうだ。キュリー夫妻がX線を発見した直後に、X線写真の撮影に成功している。
島津を有名にした最近の出来事が、キュリー夫妻とも関係するノーベル賞であり、田中耕一氏の受賞である。あの、のほほんとしているようでいて、しかしどこか熱い思いの感じられる受賞の雰囲気は田中氏独自のものなのか、島津の企業文化なのか。企業文化も多分に影響していると確信できたのが、今日の講演だった。
京都の技術系の企業文化は島津がその基礎を作ったと思っている。200年、300年と、その伝統を引き継いで欲しい企業の1つだろう。
ついでに書いておくと、高校生の時、父親に島津の株式をかなり買わせた記憶がある。大学時代、京都市役所の北隣にあった本社の前を通る度に、そのことを思い出したものだ。儲かったのかどうか、損をしなかったことだけは確かだと思っている。

2014/07/10


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