川北英隆のブログ

ワコールの創意と発展

今日はワコールの塚本社長に講演してもらった。農中信託の寄付に基づく講義の締めである。そもそも、ワコールの社長の講演はめったにないらしい。ご本人もそう言われていた。
実のところ、学生時代にはワコールに注目していた。下宿していた近くに(といってもすぐ横ではないが)、創業者(塚本幸一氏)の家が新築されたと記憶している。もっとも、ストーカーではないので、この目で確かめたわけではないし、何故そう思っているのかは今となっては定かではない。多分、下宿のおばさんかお婆さんに聞いたのかもしれない。
当時のワコールは、有価証券報告書で確認したところ、1964年(オリンピックの年)に上場、71年に第1部に指定替えとなっている。今日の講義でも紹介したのだが、当時は急成長の最中だったと言える。日本女性の服装文化を変えた結果である。そんな商売の発想の生まれたのが、創業者が第二次世界大戦から帰った直後だったというのはすごい。
しかも、今日の講演での紹介によると、創業のすぐ後、1950年に「世界のワコールになる」との計画を立てていたことである。その夢というか、目線の高さと広さに注目しておきたい。もしもその事実を知っていたのなら、当時(大学時代に)、ワコールの株式を買ったのにと思う。
もう1つ、創業者が戦争中、インパール作戦に参加した事実である。これも記憶にあった。多分、何か(日経の「私の履歴書」か)で読んだのだろう。しかし、その事実が記憶に残っているのは、僕の父もインパールに行っていたからである。そのインパールで日本の未来の女性の服装についてのヒントがあったのかどうか。
僕の父とは部隊なども異なっていたようで、同じインパールでも交流がなかったのは残念である。ついでに書いておくと、京都にも父がインパール時代に一緒だった軍医がいて、その軍医は帰国後、京都でコンタクトレンズの商売(商売というと怒られるか)を始め、大成功している。しかし、ワコールの話は聞いたことがなかった。
現在の社長、塚本能交氏は創業者の長男であり、1987年から社長の地位にある。ワコールが世界のワコールになるという創業者の壮大な構想を実現するため、30年近く社長を務めてきたことになる。
では、実際はどうなのか。今日の講演を聞いていると、世界では第2位の企業であるらしい。しかも、生産、販売とも欧米やアジアに展開していて、海外の売上高比率が2割に達している。服飾業として、ワコール的に世界展開している企業は多くないはずだ。現社長の表現から推察するに、無理することなく、しかし着実に世界展開しているのだろう。
よく知らなかった点は、ワコールの製品が職人芸をベースにしている点である。これが品質を支えている。この品質を維持するには、急速な成長が難しい。ワコールの文化を維持しつつ、いかに「世界のワコールになる」のか。現社長は2代目としての特質を十分に生かしているのではないか。そんな印象を受けた。

2014/07/17


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