母親から電話があり、施餓鬼法要の案内が来たので行きたいという。日程は今日の昼とのこと。たまたま空いていたのと、7月は実家に行かなかったので、仕方なしに出かけた。法事続きである。
参考のために書いておくと、宗派は浄土宗(関心がないので宗派の差がよく分からない)、方式は昼に食事(仕出し弁当)を食べた後(食べる必要はないが)、法要となる。参加する場合、施餓鬼塔婆を供える。「誰が、誰のために」と書いてもらわないといけない。母親と2人出席し、さらに弁当を食べさせてもらったので、一番高かった1万円の施餓鬼塔婆とした。それで十分だったのかどうかは不明である。そう思った理由は後で。
施餓鬼法要は2時に始まった。1時間かかった。施餓鬼塔婆に書かれていることをすべて読み上げるのに時間がかかるので。その間、蓮に見立てた紙が投げられる。また、参列している者は、自分が供えた施餓鬼塔婆が読み上げられると焼香をする。いつ読み上げられるのか、ランダムなので、注意していないといけない。
読み上げられている施餓鬼塔婆だが、聞いていて気づいたところでは、1人で何枚も供えている例があった。わが家は父親が第一号だから、1つの施餓鬼塔婆でいいと思ったのだが、読み上げを聞いていると、ありえないとは思いつつも親子が別々に1人のために施餓鬼塔婆を供えることもありうるのかなと思ったりした。
郡山には9つの浄土宗の寺があるとか。施餓鬼法要はこれらの寺の持ち回りだと母親が言っていた。とすれば、他の遠い寺まで、足腰の弱った母親は歩いていけないし、今回が最初で最後の施餓鬼法要の体験だったかもしれない。書き忘れているが、墓のある寺まで、普通の大人の足で5分とかからない。
以上が記録である。そうそう、寺の本堂に冷房はない。蒸し暑い。それを見越してか、大多数の参列者は普段着で来ていた。数珠だけは持参の必要ありだが。
2014/08/03