とは、荒井正人氏が最近出した本の題名である。元の会社の1年後輩である。年齢は同じ。最初、荒井正人という名を聞いた時、「・・、誰」というのが正直なところだった。
数秒して、「ああそうや」と思い出した。同じ1年後輩に辻修君というのがいて、同じ課に配属されてきた。その辻君が山登りをしていて、ある時、「南アルプスの光岳(てかりだけ)に登らない」と言ってきた。当時、辻君も僕も日本100名山を登っていて、光岳が共通で残っていた。その光岳に、辻君と、その同期の荒井君と登ったわけだ。
記録によると1983年だった。季節は10月で紅葉の時期だったのは覚えていた。金曜日、会社が終わってから静岡の先の金谷まで東海道線で行き、駅で井川鉄道の始発を待ち、井川からバスで畑薙ダムまで入ったと思う。その日(10/8、土曜日)台風が接近していた。茶臼小屋までの登りで雨になり、傘を差して登った。翌日(10/9、日曜日)、霧雨の中、茶臼岳まで登ったが、晴れそうにないので光岳は断念、一日中、茶臼小屋で過ごした。
さらに翌日(10/10、当時は体育の日でいつも祝日)は晴れの特異日。台風が通り過ぎ、天候が良くなってきたので、聖岳の手前の上河内岳まで往復し、その日のうちに東京に戻った。
結局、その時は目的の光岳に登れずに終わったわけだ。僕が光岳に登ったのは1990年だった。茶臼小屋から光岳を往復し、聖岳の小屋に泊まった。長丁場だったので、登山道から分かれて少し登らないといけない上河内岳の頂上は踏まなかった。なつかしく頂上を眺めながら歩いたのを覚えている。
その荒井君とは部署がまったく異なっていたので、時たま、どうしているのかと気にする程度だった。今回、出版物を読み、茶臼小屋以降、現時点までの消息がある程度わかった。日本生命で定年を迎え、自由人として暮らしているらしい。
「山もよう人もよう」(白山書房)は山に興味がなくても、なかなか面白い。興味があれば一読されることを。
2014/08/17