川北英隆のブログ

京都企業の発展と資金

昨日、京都大学経済学部の同窓会と総会があった。同窓会本部の会合というわけだ。これまで同窓会に出席したのは東京支部に呼ばれて講演したきりである。今回が本当の出席ということか。
このブログでも少し紹介しているように、今年は京都企業を分析しようとしている。その中間報告的なことをまとめ、昨日の同窓会で喋った。中間報告に際して期待していたことがある。それは、同窓会に出席するのはリタイア組(つまり歴史の証人)が多いから、懇親会の席で何か参考になることが聞けるのではないかと思っていたわけだ。
実際の所、重要な情報が2つあった。
1つは、京都銀行の役割である。現在活躍している京都企業に資本を提供するうえで、京都銀行の力が大きかった。その京都銀行は、実のところ丹後の銀行だった。公表されている沿革によると、京都銀行は1941年に両丹銀行、宮津銀行、丹後商工銀行、丹後産業銀行が合併し、福知山に丹和銀行を設立したところから始まる。1950年に京都府の事務を受託し、51年に京都銀行と名称を変え、53年に本店を京都に移している。出自からすると、丹後地方の生糸を中心とする繊維業の資金が背景にあったと考えられる。
京都に進出した頃、京都市内は都銀の支店が牛耳っていたが、それを長い年月をかけてひっくり返した。この原動力となったのが、市内の老舗は都銀のテリトリーだったため、新興企業と積極的に取引したことにあるとのことだった。言い方を変えると、仕方なしにベンチャー的な企業を相手にしたとのことか。京都銀行とベンチャー的な企業とが互いに力となり、発展したことになる。
もう1つは京都企業の結束力の強さ(仲がいいこと)についてである。これは共産党の蜷川知事が長く府政に携わり、企業活動に負の影響を与えていたため、京都企業として結束し、対抗せざるをえなかったのではないかとのコメントである。「さもありなん」と思うものの、こちらは確認の仕方が難しい。創業者にでも聞くしかないかも。

2014/10/12


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