今日、東京にある京大の施設で、あすかアセットマネジメントの寄附金を使い、スチュワードシップ・コードと、現在、議論の渦中にあるコーポレートガバナンス・コードのセミナーを開催した。
コード(原則)の策定作業は、政府肝いりで、企業と投資家の対話に関する枠組みを制定しようというものである。「それで、何なの」と思う向きがあれば、ここから先はネットで調べてほしい。
このセミナー、そんなに広くない会場だったので募集予定数は90人少し、その人数を意識してすぐさま募集停止となった。テレビショッピングの「限定○○」とは大いに異なる。それでも、「経験則として7?8割くらいの参加でしかないやろ」と安心していたところ、実際のところは出席率が極めて高く、ほとんど満席だった。年金やアセットマネジメント会社が多かった。
セミナーでの議論の中でというか、本当はその後の懇親会で明らかになったのは、スチュワードシップ・コードの現実である。企業からも、投資家の誰がどのような議論を行ったのか、その議論の視点は何点に値するのかを評価しているそうである。多くのアナリストは、「この四半期の業績は」と質問するそうだが、「そんなの、新聞記者のレベルでしかなく、アナリストと名刺に書くのはホンマに恥ずかしい」とコメントすると、「その通り」との返答があった。
アナリストとしての評価が低ければ、そのアナリストから対話の依頼があったとしても、企業は適当にあしらうのだろう。当然そうかと思うのは、かつての僕自身、インタビューに来る記者のレベルをイメージしていて、しょうもない記者には(ほとんどないが)居留守を使うこともあった。
要するに、スチュワードシップを重視し、投資家が企業と対話(対話とは軽い言葉であり、本当は議論)をしようとすると、互いのレベルが高くないといけない。コーポレートガバナンス・コードが企業側のレベルを高めるための原則の提示であれば、スチュワードシップ・コードは投資家側のレベルを高めるための原則の提示である。
もう1点、注意しないといけないのは、両コードとも、抽象的な概念というか枠組みを書いているだけだという事実である。その概念に魂を入れるのは当事者でしかない。審議会ではないのだから、提示されたコードの抽象的な世界から離れ、実際の世界の中で、コードを現実世界にフィットする言葉に変換しないといけない。
コードに対する対応文書を読めば、その組織のレベルが判明する。一種の通信簿である。だから、個性のない、通りいっぺんのコードしか対外向けに提示できないのであれば、「アホやん」ということで、市場から実質的に追放されるのはほぼ必然だろう。
2014/10/20