スチュワードシップ・コードで重要視されているのが、投資家と企業の対話である。その一環として、株主総会での議決権行使も重視され、その行使状況を公表すべきだとされる。しかし、である。
昨日のセミナーで僕が「疑問点」として喋ったのが、「日本版スチュワードシップ・コードが株式の売却を軽視しているのではないか」ということだった。コードを中の部分まで読むと、「売却を・・否定するものではない」と書かれているからである。株式売却も広い意味で対話ではないかと考えているからである。これは、この15年以上、僕の一貫した考え方である。
これに対して、Yさんがコーポレートガバナンス・コードに関わっている立場から、「日本版スチュワードシップ・コードが中長期の株式保有の促進を前提としているから」と答えてくれた。また、Hさんだったと思うが、「株式市場のショートターミズム(短期主義)の弊害」を喋った。確かにそうかもしれないが、僕として完全に納得したわけでなかった。
その後の懇親会において、企業側を代表してもう一人のYさんが、「わが社は、株式の売却にも株主からのメッセージがあると考え、対応している」と発言した。主要な機関投資家が株式を売却した時に、その理由や企業経営に対する意見を聞こうとしている」とのことだった。
日本版スチュワードシップ・コードが株式売却に対してどのような本音を持っているのかはわからない。しかし、「売却を・・否定するものではない」と回りくどく書いた背景には、売却を減らし、できれば日本の株価を上げたいとの本音があるように思えてならない。
しかし、投資家からすれば、いくら口を酸っぱくして言っても行動しない企業の株式を、辛抱強く保有する意味がどこにあるのだろうか。どこかで売却し、株価を下げる圧力をかけ、最終的には敵対的買収を仕掛ける投資家の登場を待つのが本筋ではないのか。
この意味で、日本の株式市場には多様な投資家が不足している。短期売買を繰り返す投資家と、辛抱強く株式を保有する投資家と、市場を模倣するパッシブな投資家だけの市場は、穴ぼこだらけである。
最初のYさんはスチュワードシップ・コードが形式だけのものにならないようにと、企業を子供に、投資家を親に喩えて説明していた。親が子供にいくらやかましく「(えらくなるために)勉強しろ」と言っても、子供がやる気にならないといけない、勉強は本来的に子供のためのものなのだからと言っていた。
この喩えに追加するのなら、それでも勉強しない子供に対しては、勉強させることをあきらめさせ、他の才能を磨かせるようにするのがいいのではないのか。企業の話に戻ると、そのまま上場を続けさせて株価が上がることをずっと待つよりも、上場廃止とか、違う経営者に登場してもらうとか、他の算段をすることが筋ではないかと思う。実際、中長期の投資家であっても、投資先業を見切ることはよくあるのだから。
2014/10/21