川北英隆のブログ

公的年金のあり方について

先日、アクチュアリー(保険数理人)の知人N氏が大学を訪ねてきた。大阪で取引先の保険会社を訪問したついでに来たらしい。実は最近、彼と公的年金の財政検証に関して意見交換していた。
彼は今回の公的年金の財政検証(財政的な健全性の検証)に対して疑念を持っている。そもそもの疑問は、経済成長率よりも賃金上昇率が高いことにある。そんなサラリーマンにとって夢のような世界が本当にあるのかとの質問を、僕にしていた。
この点は、(安倍内閣が成長戦略によって実現すると想定している)技術進歩率の上昇によって経済成長率が高まる一方、(過去の傾向を伸ばすと)投下資本の総量はあまり増えないので、経済活動の成果の多くが労働力に分配されることから生じている。そう僕は理解している。
この経済前提について、いろいろと議論があったのは確かだが、結果はN氏の指摘するようなこととなった。客観的に評価すると、政府が成長戦略の下に描く理想の日本経済の将来像と、過去からの日本経済のトレンドや人口減少の現実とが不整合であるから、辻褄の合わない事態が生じているのだろう。
もう1点、今後の公的年金のあり方について、N氏は、現在のような賦課方式(公的年金のために毎年徴収した保険料だけに基づいて、それを毎年の年金支払いの原資とする方法)と積立方式の折衷ではなく、単純な賦課方式が望ましいと語っていた。この場合、将来の年金のために資金を積み立てることがなくなる。すなわち、現在の130兆円近くある公的年金資産がゼロになる。もっとも、N氏に言わせると、いきなり賦課方式にすることは難しいので、(自然にかどうかはともかく)現在の公的年金資産がゼロもしくはゼロ近くになるのを待ってから、賦課方式に移行すべきとの意見らしい。
また、今の保険料を基準に考えると、賦課方式になった場合、平均的な公的年金額は現役の時の30%程度、夫婦合わせて月額15万円程度らしい。これに対する僕の感想は、東京に住んで文化的な暮らしはできないものの、地方で生活するにはそこそこの金額だというものである。文化的な暮らしを望むのなら、それは自助努力である。
そもそも、猫も杓子も東京に住もうというのが間違っている。都心の狭い家では、猫も飼えないではないか。その代わりに、都心に住む者自身が「猫も杓子も」の猫になるのかと思う。猫といってもドラ猫だろうが。

2014/10/29


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