漢文の教科書に出てきたと思うのだが、漢詩に「已に見る松柏のくだけて薪となるを、更に聞く桑田の変じて海となるを」とあった。友人と年齢のことを話していて、その詩を思い出した。
実は20年近く前、「フランクフルトの誓い」というのを友人2人と僕とで交わした。お互い、誰が偉くなっても貧乏になっても助けあっていこうという誓いである。酒飲み話ではあるが、半分は真面目だった。10年ほど前に、何か(忘れてしまった)事件があったので、その誓いを蒸し返して少し注意喚起したところ、2人は「そやった」と納得していたくらいだ。これも酒飲み話ではあるが。
それと、フランクフルトの誓いといっても、ソーセージを肴に酒を飲んでいたわけではなく、ドイツのフランクフルトのことである。もっとも、白アスパラガスとソーセージを肴にビールを飲んでいたと思うが。
その3人であるが、3人とも60歳代になる(一番若いのが60代になる)年が近づいている。その話題をメールで交わしていて、冒頭の漢詩、劉廷芝「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代わる)の一節を思い出した次第である。
同時に、「そういえば、日本でもよく似たことがあったな」とも思った。「桑田の変じて海となる」からの連想で、宮城の平野を襲った津波の映像の記憶がまざまざと甦った。この大震災によって福島の原発は、猿の惑星に登場するような「人類の負の遺跡」となった。
調べたところを書くと、「松柏のくだけて薪となる」は、他の漢詩の「古墓は犂かれて田となり、松柏はくだけて薪となる」から来ているとのこと。そういえば、京都の中心部に周囲の反対を押し切って大きなマンションが建設されているが、その土地は元々墓地だったのではとも思っている。付近には寺が密集しているので。購入するのなら要注意(要調査)である。いずれにしても部屋から墓が見えるだろう。
最後に、「代悲白頭翁」には「この白頭翁 まことに憐れむべし これ昔 紅顔の美少年」との下りもある。「紅顔の美少年」のところ、ワープロで変換ミスをすると大笑いになるので、これまた要注意である。
2014/12/15