川北英隆のブログ

ちぐはぐな高等教育改革案

高等教育には大学が含まれる。現在の話題の1つは高校と大学の間の接続である。大学入試が大きなテーマの1つである。昨日、中央教育審議会は大学入試の改革案を答申した。内容は「変」である。
答申の詳細は新聞情報を見るのが簡便だろう。いろんな審議会の答申は文書が多すぎてポイントが不明である。すべてがポイントというわけかもしれないが。今回の答申もざっと見た限り、文書の羅列となっている。
その答申に対する評価は、教員側からすると負担の増大である。高校も大学も、何回も学生向けに試験をしなければならない。以前のブログで書いたように、この試験が教員にとって負担である。大学の場合、入学試験が増えれば、タダ働きが増える。また、教えるだけでなく、研究も求められているから、試験の負担が増えればますます研究どころでなくなる。
教育改革には一体性が求められる。何を、どのように教育し、どう持って行くのかの骨格がないといけない。しかし、それが今の教育行政にあるのだろか。大学生の質の低下は嘆かわしいことだが、それを主に大学入試だけで対応しようなんて、何を審議しているのだろう。というか、審議会の下ごしらえをする行政の質の問題かもしれない。
教育改革には、1つは予算の重点配分と拡充が求められる。今回の答申では高校の基礎学力テストを提案しているが、それを実施したとして基礎学力に達していない学生をどうするのだろうか。学力不足の場合、進級や卒業をさせないのか。普通に考えると「高校の教え方が悪い」と決めつけられるので、無理に合格点を付けるように思える。そうではなく、高校で教えるための予算の拡充が必要だろう。それでも無理なものは無理であるし、嫌いなものは嫌いなのだから、大学をいわゆる普通の大学と職業専門大学に分けるべきではないか。また大学には、それぞれの性格にふさわしい教員を雇えるだけの予算を(自助努力を含め)認めるべきである。
もう1つは、教員を、主に研究する者と主に教える者に分けるべきである。もちろん互いの交流を図りつつであるが。誰でも彼でも「研究」の時代は終わっている。同時に、大学事務を大改革し、教員が不慣れな事務の一翼を担う現在の制度というか慣行を極力縮小すべきである。入試の監督も基本は事務職員で十分なはずだ。面接を取り入れるのなら、それは教員の仕事だろうが。
もう1つ重要なのは、大学の4年間を無駄にしない教育制度である。大学生は意味のないバイトに精を出し、それが実は飲食業を支えている。本末転倒である。親からの仕送りが少ないのなら、奨学金を拡充すればいい。それでも勉強しないのなら、進級、卒業させない制度が是が非でも求められる。そうなれば、企業による性懲りもない過激な就職活動もなくなるだろう。卒業できたことの値打ちを社会も認めるだろう。大学の4年間の教育にほとんど手を付けない審議会なんて、企業とつるんでいるのかも。

2014/12/23


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