公的年金の運用(とくに年金積立金管理運用独立行政法人、GPIF)をめぐる議論が続いている。今の焦点は資産運用組織にあるが、その議論を傍から眺めていると、形式論に終始し、やけに素人っぽい。
先日もさる会合で、GPIFの組織に関する議論に疑問が発せられた。日銀と同様、理事長以下の複数の理事の合議制でGPIFの資産運用を決めることに、どれだけの意味があるのかとの疑問である。ある合議制組織の経験者は、「合議制といっても、その理事を誰が、どのように任命するのかに依存する」「要するに理事の人事である」とのことだった。
バランス良い意見が集まるように理事を任命しないことには、合議制の意味がないとのことだろう。特定の意見を持った理事を故意に複数集めて意思決定すると、理事長1人が決定するよりも、事態は酷くなるとの警告でもある。複数の理事が正義ぶって意思決定しても、その裏に悪意が潜んでいる可能性が非常に大きいからである。
現在のGPIFの組織が望ましいとは思わない。では、望ましい方向にもっていくにはどうするのか。この議論は、GPIFの資産運用能力を高めるためにどうするのか、この視点に立たないといけない。
このように考えると、必要なのは、年金資産の運用方針や方法に関して、十分な見識と能力を有した人材を集めることである。130兆円もの資産を運用しているのだから、人材に多少のコストをかけたところで、何の問題もない(多少横道に逸れるが、政府はこのコストをケチってきた)。そして、この見識と能力を有した人材の何人かが、理事という役職を付与されればいい。理事という役職は、資産運用に関する合議に参加するのかどうかという形式的観点からではなく、年金資産運用に関する十分な見識と能力を有するという実質的観点から付与されるのである。
次に考えないといけないのは、資産運用に関する正解は誰もわからないという事実である。つまり、いくら専門家が議論したとしても、「これで万全」ということはない。だから、最後に誰かが決断しないといけない。言い換えれば、合議した理事の多数決が正しいとは保証されないので、最後は、複数の理事の意見を聞き、理事長が決断しなければならない。アメリカの大手の資産運用会社の多くは、最後はトップが意思决定している。バフェットの率いるバークシャー・ハサウェイ社が典型だろう。
そのような理事長の決断による年金資産運用が政策的に望ましくないと考えるのなら、残された方法は1つだろう。GPIFの130兆円を20兆円くらいのファンドに小分けし、それぞれの運用を独立させることである(もちろん、それぞれのファンドの責任者の人選に恣意性は禁物である)。そうすれば、1人の理事長が130兆円の資産運用に失敗し、年金制度を危うくするという事態を避けられる。
これまでのGPIFように理事長1人に資産運用を任すのはよろしくない、だから複数の理事による合議制だと決めつけ、議論するのは短絡的、形式論的過ぎる。多分、資産運用の何たるかに明るくない者逹が仕掛けた議論だろう。
2015/03/08