川北英隆のブログ

教員生活のラスト1周

ドタバタがあり、当初予定のブログが書けないでいた。今日、その予定のブログを書くこととする。それは、残り1年で教員生活を終えるという、すがすがしい気分の一歩手前になった事実である。
国立大学の定年は、全部かどうかは知らないが、だいたい65歳になったのではなかろうか。京大も、僕が教員になった頃は63歳だった。そのままだと、昨年度はフリーになっていたはずなのだが、その後に65歳へと定年延長になった。公的年金の支給開始が65歳なので、それに合わせたとのことである。
残り1年、淡々と講義をやるだけだろう。
とはいえ、講義に対して受けている寄附金をどうするのか、その将来のことを計画しないといけない。このことに関して、受け皿を作りたいと思っている。また、科学研究費助成(科研費)を受けており、この最終年度を迎える。科研費の事務は煩雑なので、元部下の他大学の教員を巻き込み、気合で基盤Aを申請したところ、受理された。その手前、ちゃんとした実績を作らないと申し訳ない。本当に。
それで、よく質問されるのが、来年度以降どうするのかである。希望は1つ、「毎週、定期的に講義をしたくない」である。そんな定年後のオファーはないに等しいのだが、オファーがあったとしても、条件交渉になるのだろう。
何故かといえば、金銭と時間と、今後の生活においてどちらが重要なのかである。僕は「時間」だと思っている。父親も母親も、早く大学を辞めろと言っていた。意図するところは僕と異なっているとは思うが、金銭の重要性が低くなっているとの認識では2人の故人と僕の意見は一致している。
それと、これは個人差があるものの(この点を強調しておく)、60歳を過ぎてくるといろんな面で老化を自覚する。そんな老化人間に学生が学んだとして、どれほどの意味があるのか。若手が取って代わるのであれば、それがベストだと思っている。
ということで、残り1年を楽しみたい。「楽しむって、何のことや」と質問されれば、「講義も当然として、講義のない時間も」と意味深長に答えておこう。

2015/04/04


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