学生など若者を観察するにつけ思うのは、他者との付き合い方がぎこちないか、常識を大きく外れている。僕自身、正当な常識はない。それでも、外れ方が極端ではないから、現状の極端さにとまどう。
1つは、他者との極端な距離の置き方である。これは学年によって、もしくは集団のリーダーが誰かによっても異なるが、ほったらかしておくとえらく他人行儀である。僕自身、かつてはそうだったかもしれないものの、その反省を込めて言うと、互いの能力の差は大したことがないから、素直に交流していいのではと思う。この点、中国からの留学生を見るかぎり、お互いに異国に暮らしているからだろうか、交流が密だと感じる。
もう1つは、逆に、いやにずけずけ入っていくことが目立つ。相手の実像の見えないインターネットでのメールがあるからかもしれない。ずけずけ入っていくのは許せるとして、その前段としての「入っていくから」との断り(事前の承認を得るようにしつつ、婉曲に入っていく技法)が不足している。つまり、相手に対して「拒否」という断る権利を認めながら、それでも実質的に入っていく必要があるのではないか(下手すると慇懃無礼とも受け取られかねないが)。
具体的な断りの仕方は状況によって異なる。この婉曲さを上手く相手に伝えられるかどうか、本人の本当の教養が問われる。その教養を養うためにも勉強しなければならない。もちろん、京都人のような「閉じた世界での教養」を意図するものではない。普通の社会人としての、他人との付き合いをスムーズにするクッションを意味するだけである。
今の若者の世代は兄弟が少ない。近所の同世代の子供も少ない。だから他者との接し方を学ぶ機会が少ないように思う。他者と接する機会が多いから必ず付き合い方が上手くなるとはいわない。しかし、平均的なレベルが上がることは確かだろう。
以上、単純な知識の詰め込みではなく、もっと幅広い教育が必要だと感じる次第である。
2015/04/05