川北英隆のブログ

旧知と高瀬川沿いでばったり

午後、暑いくらいの日差しの中、大学に出掛け、院生を指導した。テーマは倒産企業の分析だった。それを終え、鴨川と高瀬川の新緑を愛でて歩いていると、少し先から「えっ、川北さん」との声がした。
ふと見たものの、瞬間、わからなかった。しかし、もう一度、数歩近寄ってから見ると、大阪でI副会長の秘書的な仕事をしていたAO君だった。「何で、こんな高瀬川界隈に」と思い、そう問いたかったが、声を発する前に、A君から説明があった。
いつからとは聞かなかったが、お父さんが亡くなったため、会社を辞めで実家の事業を継いでいるとのこと。名刺をもらうと、人吉の「一騎印」という醤油の醸造元である。僕と同期で2月に登場したAK君が訪ねたこともあるとか。
人吉には昔、市房山に登りに行ったことがある。旅館でビールを飲みながらテレビを見ていると金融論で有名なIさんの甲高い声が聞こえてきたので、「こんな山奥まで」とテレビの威力を思い知った記憶がある。また、小雀さんか大鷲さんかどちらだったか忘れたが、父親の工場で働いていた従業員の出身地でもあった。
で、人吉と言えば球磨焼酎だろう。それなのに「何で醤油なんや」とは聞かなかったので、人生の2回目として人吉を訪問し、その時に一騎印醤油の謂れを聞きたいものだと思う。
以上を書きながら、確か誰から、AO君が会社を辞めたと聞いたような気がしてきた。そのAO君、僕より、10年位下だったか。
そうそう、京都へ来たのは従業員を連れての慰安旅行だとか。社長さんは大変である。

2015/04/25


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