川北英隆のブログ

訃報その2:川原隆

連休中にもう1件、訃報が届いた。日経新聞社の記者だった川原隆さんである。最後に会ったのは2013年4月だった。川原さんとは1980年代の終わり、日経平均先物での研究会で知り合った。
このブログの初期に登場した故吉村光威さんの部下として、先物研究会の事務的なことを担当されていた。研究会の座長は、やはり故人となられた大阪大学の蝋山昌一さんだった。この研究会は、僕としての他流試合の初期の段階だったから、非常に思い出深い。
伊豆半島のどこかの施設で(森ビルの経営だったような)泊まり込みの「研究会」を行ったこともある。その時、「ついでだから」というので、富士川河口付近の低い山に登り、会場にたどり着いたところ、川原さんにヒンシュクの目で見られたような。
その研究会のトップメンバーが絶えてしまったことになる。
僕をはじめとする駆け出しのメンバーはどうしているのか。年賀状の届くメンバーもいるにはいるが、そもそも誰がいたのか、ほとんど忘れている。25年以上前のことだから仕方ないとしても、川原隆さんは僕より1つだけ上のはずだから、逝くのが早過ぎる。僕に対するカウントダウンが始まるような印象を受けるのは、思い過ごしだろうか。

2015/05/20


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