川北英隆のブログ

叔父が亡くなった後の農業は

昨日は叔父の初盆だった。連日の法要で奈良に出向いた。シャープの研究所に隣接する丘の上の村、天理市和爾で、村の中心に和爾坐赤坂比古神社がある。櫟本の和爾下神社とセットである。柿本氏、石上神社とも縁があるとか。
村の寺は善福寺といい、仏像は重文だそうだ。小さい頃、そんなこととはつゆ知らずに暴れまわったその寺での施餓鬼供養に参列した。
その後、寺の向かいにある叔父の家に(つまり母親の実家に)30年ぶりだろうか、足を踏み入れた。当時の面影は残っていたが、隣の家との境にあった大きな柿の木がなかった。かつて、牛や鶏の鳴き声で賑やかだった母屋の裏庭には植木が植わっているだけだった。それでも井戸が残っていて、今でも電気ポンプで水を汲み上げることができる。
叔父の家の問題は残された田畑をどうするかである。同じ村で農家をしているもう一人の叔父さんに、「(亡くなった)叔父さんは桃や梨は作っていたの」と質問したところ、「村で作っているのは数軒だけになった」とのこと。「手入れが大変だから」とのことで、「今では畑になっているか、草や篠竹だらけになっているかや」とも。
近郊農家として、果物で栄えた村のかつての面影はないようだ。「桃を作りたかったら畑をやろか」と言われたものの、「1、2本なら作ってもいいが、本格的には・・」と答えるしかない。
農家は難しい。奈良や大阪の近郊で、気候も温暖なのにこうだから、他の地域はどうなのかと心配する。農家の作業は大変ということなのだろう(少し手伝った経験からしてもそうなのだが)。村として、もちろん手をこまねいているわけではなく、水田を交換し平均面積を広げていると説明してもらった。昔は1反(1000平米)が平均的だったが、今はその2?3倍になっているとか。それでも農家の高齢化が進み、後継者は奇特なのだろう。
「下手なサラリーマンをやっているより、叔父さんの家を継いだ方がよっぽどいいのでは」とも言ってみた。と、「そう思うのやけど、(いとこの子供たちは)誰も手を挙げへん」「自分の家の子供でさえ家を継いでくれるかどうか心配」とも。親戚の子供達がよほど出来るのか、それともサラリーマン社会に単純に憧れているだけなのか。もったいないとは思うのだが、こればかりは強制できない。

2015/08/16


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