日本おもてなし学会がゆっくりとスタートしている。今日、第2回の総会というか、特別講演会というか、対談が平安女学院で開催された。登壇したのは柊家の女将と瓢亭の当主である。
柊家の創業は1818年である。瓢亭は400年ほど前(茶屋として始まり、1838年に料亭とした)というから、1600年代に南禅寺前の茶屋として始まったという。建物を修理すると江戸時代の名残が出てくるので手間がかかるし、文化財への(確かそう聞いたが)指定をと言われたが、断っているとか。
今日は2人が対談形式で話した。興味深く聞いたのは、次の点である。箇条書き程度にしておく。
京都人は前に出ない。前に出ることは京都の文化に合わないらしい。京都企業の部品製造、大量生産ではない製品の生産に通じるのではと思った。
一見さんの文化ではない。これはイケズではなく、互いを知って呼吸が合わないことには、十分なサービスができないかららしい。
料理にしろ、宿泊にしろ、雰囲気を含めて味わってほしいとのこと。つまり、文化を知らないと、本当の良さがわからない。一見さんお断りと相通じている。そうでないと、ともすれば「えらい高かった」と言われるとか。
隣近所との付き合いもこれに通じている。阿吽の呼吸である。互いに微妙に自分らの領域を保ちながら接している。深く立ち入らないが、かといって疎遠ではない、大人の付き合いなのだろうか。
これらの文化を今後も伝えていきたいらしいが、後継者を育てるのが大変だとの気持ちが伝わってきた。
伝統と、時代の流れの相剋である。おもてなし学会は、その微妙な文化を伝えるためにできたのだと理解しているが、微妙な都市に生まれた学会だけに、どのように成長するのかも微妙である。急がず、焦らず、ゆったりと育てるのが最良なのだろう。
2015/12/05