マイナス金利は不人気である。誰に聞いても褒めない。先日、市場関係者と話していても、予想以上に批判が多かった。株価でも上がり、為替が円安になっていれば、誰かが褒めた程度か。
前にも書いたように、金利がマイマスになったところで、日銀が狙う設備投資のためにお金を借りようという企業は皆無に近いだろう。まともな大企業の場合、そもそも銀行をはじめ、そこらじゅうに自分のお金が溢れている。だから、今さら金利が限りなくゼロに近づいたところで、低下幅自体ごくわずかだから、誰も新たに投資しようとしない。
むしろ、「それなら不動産投資やろ」という輩が出てくるに違いない。まともな銀行なら、そんな輩にお金を貸さないだろうが、実際のところ、まともな銀行がどれだけあるのだろうか。そこが問題である。
個人はどうするのか。お金のやり場がない。タンス預金は危ないし、金庫を買っても、余程大きなのを買わないと、金庫ごと盗まれかねない。預金しても金利が付かないのなら、金でも買って銀行の貸金庫に入れておくことだろうか。
個人向けの預金金利がマイナスになることはないと思えるのだが、金利の代わりにいろんな名目で手数料が取られるかもしれない。以下、確たる情報があるわけではなく、あくまでも頭の体操として考えてみると、いろいろアイデアがある。
まず、個人がお金を引き出すのは、銀行として「歓迎」だろうが、預けるのは「止めてや」だろう。そこで、入金の度に手数料が取られるかもしれない。給与振り込みに対して、個人からではないにしても、勤務先企業が手数料を取られるかもしれない。さらには、単純な振り込みの手数料が上がるかもしれない。普通の銀行が口座維持手数料を設けるかもしれない。銀行の店舗に入るのに、夏は「涼み」代、冬は「暖まり」代として、入場料が必要になるかもしれない。ここまで来ると、さすがに冗談だろうが。
黒田日銀の政策は結局のところ、政策としての合理性を目指したものではない。たとえば、よく言われるように、量的金融緩和との整合性が見えない。保有している国債を現金に換えたとたん、マイナス金利が付くのなら、国債のままで保有するのが賢明だから、日銀に国債を売ろうとしなくなるかもしれない。そうすれば、量的金融緩和は機能しなくなる。
黒田日銀の政策は、極論すれば、たんに市場に活を入れるだけのものである。当初の目論見通りに活が入らなければ、ますます市場が混乱する。もしくは死に絶えるだけと思えて仕方ない。
では、次の活として考えられるのは何なのか。残されたのは、全国民に1人平均1000万円の現金を配布する程度だろう。いわゆるヘリタプター・マネーである。子供の頃、飛行機がビラを撒きに来たのを思い出す。その飛行機を子供が追いかけた。近い将来、札が撒かれるとすれば、大人も子供も、仕事と勉強をほったらかしてヘリタプターを追いかけるだろう。そうなると、死に絶えるのは市場ではなく、企業であり、学校だろうか。
南無である。今日のブログは「似合わん」にまで至らなかった。
2016/02/22