今日、京都大学の品川オフィスと、その近くのイタリアレストランを使って最終講義なる催しを行った。土佐日記ではないが、退職する教員がする最終講義なるものをせんとてしたわけだ。
他の教員の最終講義には1回出た経験がある。正確にはもう1回、退職後5年目だったか、区切りの催しをやった先輩がいて、それにも出た。そこで(たった2回程度の体験でええんかいなというとこだが)、「最終講義って、要するに退職記念パーティーの余興というか、前座というか、そういうもんやな」と悟った。
そこで、40-50人程度を想定し、準備をした。案内する対象として、諸先輩は排除した。堅苦しくなりそうなので。また、僕の研究か教育に関係した者とした。手っ取り早く言うと、大学院(研究指導生)および大学でのゼミ生、ニッセイ基礎研究所金融研究部の後輩、現在の大学での同僚、そして経済論叢(京都大学経済学研究科の紀要)の退職記念号に執筆を依頼した6人である。
京都大学の会場はうまく確保できたので、100人来ても大丈夫だったのだが、イタリアレストランは40-50名が適正な人数だと、事前の調査で感じていた。それに対して、70名近くの参加をいただいた。感謝である。関西はもちろん、最遠はバミューダから社会人院生が駆けつけてくれた。もっともレストランは、当初の予想どおり、立錐の余地なし状態だった。
そんなこんなで、夕方5時半から、最終講義「投資理論と現実の接点」なる与太話を1時間弱話した後、イタリアレストランで2時間少し歓談し、今日の行事を終えた。これで、退職に関する行事はすべて終わりである。
日本生命を去る時は、ある意味で悲壮だったが(「何でやねん」と言われそうだが)、今回は楽しかった。またいつか、退職後5年、10年といわず、もっと頻度高く催しをしたいものだと思う。1周忌とか3周忌とか、死んでから催しをされるよりも、超の字が付くほど楽しいだろう。
2016/03/12