川北英隆のブログ

さよなら三菱自動車の三輪レオ

有価証券報告書によると、三菱自動車の発足は昭和45年、すなわち1970年である。しかし、三菱の名前を冠した車はその以前からあった。そう、わが実家が商売用に最初に買った車が三菱の「レオ」だった。
当時は三菱重工業が車を生産していた。レオは、その三菱重工が造った軽三輪トラックである。レオという名は手塚治虫のジャングル大帝レオにちなんだ名前だとか(確信はなかったが、ネットを検索するとそうらしい)。当時、大村崑が宣伝していたダイハツのミゼットが爆発的に売れていた。それに対抗するための車だったらしい。発売開始は1964年のことである。(追記:1959年の間違い。)
わが家にレオが来たのも発売当初に近かったと思う。試運転だとか称して叔父さんだったかが最初に乗った。それに便乗したところ、あぜ道の横、浅い用水路にタイヤが落ちてしまったことを覚えている。それ以降、叔父さんの運転する車は敬遠した。
パジェロにもお世話になった。研究所の時代、同僚がパジェロを出動させた。それに乗せてもらい、丹沢や阿武隈の森林調査に行った。いい車だった。そんな仕事をさせてもらえ、いい時代だったとも言えるが。
今、レオは当然ない。パジェロも新規開発が中止になり、いずれ消えていくらしい。しかも、今回の燃費偽装はパジェロでもあったというから、消える時期が早まるかもしれない。
一昨年度、三菱自動車の販売台数は109万台である。うち、日本では11.5万台にすぎない。一番売れているのは中国を含むアジアで34.4万台とのこと。中国では広汽三菱汽車(三菱自動車の議決権は33%)という会社があり、そこでの販売が好調と書いてある。
かつて、三菱自動車は「ふそう」というブランドでトラックを製造していた。このトラック部門は三菱ふそうトラック・バス株式会社として別会社化され、ダイムラー社の経営(株式の89.29%保有、残りの10.71%は三菱グループの保有)となっている。
現在の三菱自動車の販売台数、100万台は、自動車がグローバルな競争の時代になっていることを考えると貧弱である。そこに今回の事件が生じた。かつての前科もある。ブランド力は一気に落ちたと考えていいだろう。フォルクスワーゲンの例を挙げるまでもなく、訴訟のリスクさえある。
このように考えれば、三菱自動車の命運が尽きた可能性さえあるのではないか。トラック部門のように、三菱の名だけを残し、外資に経営権を売却してしまう戦略も浮上するだろう。これは、実質的に三菱自動車の経営を支配している銀行、商社、重工が意思決定すべき事項だろう。
以上は、車も買わない(買えない?)、三菱と名の付く株もない僕として、興味本位の雑文でしかないが。

2016/04/23


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