川北英隆のブログ

山一証券部長と19年ぶりに飲む

昨日、元山一証券の金融法人部の部長、N氏と19年ぶりの飲み会が実現した。N氏は長らく山一証券の引受業務に関係してきた有識者である。昨日確認したところ、1997年4月から金融法人部の部長になったそうだ。
僕がニッセイ基礎研究所から本体の資金証券部に戻ったのも1997年4月だった。互いが仕事に慣れて落ち着いた頃、N氏は飲み会をセットしてくれた。そのセッティングの日が1997年11月25日だった。
カレンダーを確認したところ、山一証券の経営破綻(形の上では自主廃業)のニュースが流れたのは11月22日である。この22日が土曜日、23日は日曜日、24日は勤労感謝の日の振替休日だった。24日に山一証券は取締役会で自主廃業を決議した。
僕はといえば、21日、広島(日本生命の支社主催だったと思う)で講演し、翌日は山に登る予定だったものの、何か予感がしたのか(ひょっとして天気が悪いと判断しただけかもしれない)、翌22日の朝の新幹線で広島を発ち、東京に戻っていた。
この飲み会の約束は週明けの月曜日だったと記憶していたが、25日は、実際のところ週明けの火曜日だったわけだ。当然、N氏にとって、そんな飲み会どころではなくなった。流れた。
N氏との最初の接点は、山一証券経済研究所が事務局となり、開催していた研究会だった。手帳が手元にないので年月を確認できないが、1990年の少し前だと思う。
当時の山一証券経済研究所は名門証券会社の研究部門にふさわしく、価値ある成果を出していた。僕が参加した研究会では、証券取引法(現在の金融商品取引法)関係の著名法学者の名前があった。僕が最後にゴルフをしたのも、研究会の座長M先生が(思い出すと、大学の教員時代、隣の建物に研究室があった)、「たまには野外で健康に」というので、埼玉の名門ゴルフ場に出かけた時である。
それはともかく、事件の後、N氏はM&A関係の会社に転職した。年賀状のやり取りだけが続いていたが、2009年2月、N氏の会社が提供しているデータベースを僕が管理する研究費で買うために訪問、再会を果たした。そして昨日、飲み会となった。
N氏は学者タイプである。法学者の知り合いが多い。僕も何人か、山一証券出身で現在も活躍されている人を知っている。それら共通の知り合いの話題と、1980年代後半のバブルの頃の社会全体の熱狂、1997年のこと(山一証券の1週間前、山一証券が主幹事だった北海道拓殖銀行が破綻している)など、話題は豊富だった。
というあれやこれやで、あっという間に楽しい時間が経過した。20年、30年という時間でさえ、あっという間に流れるのだから当然だろうが。

2016/05/24


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