川北英隆のブログ

三菱グループの終わりの始まり

今まで大きな傷を被らなかったのが不思議なくらい、旧三菱財閥は他の財閥と比較して優位を確保してきた。銀行で考えると、安田は「みずほ」になり、三井は住友に飲み込まれ、その住友は銀行と信託が分裂している。何が三菱を相対的に優位な地位に導いたのか。
専門家の評判では、三菱の経営が保守的であり、それが良かったとされている。
強いて積極策を挙げれば東京銀行との合併だろうか。その他は、日本のバブルの頃も、リーマンショックの頃も三菱は相対的に大人しかった。バブル最大の元凶だった不動産業界を考えれば、三菱地所という安定的な会社を有していたことが、消極的な意味で功を奏したのかもしれない。
しかし、では三菱の名を冠した企業のうち、どれだけが業界をリードしているのか。三菱商事を除くと、意外にも見つからない。もちろん、化学や海運での系列会社は力を有しているが、所詮日本だけのことであり、また日本の同業他社との比較では決して抜きんでてはいない。
その象徴が自動車だった。三菱重工の一部門が独立した(正確には独立しようとした)わけだが、結局は一人前になれなかった。挙句の果てに日産自動車、銀行で言えばかつての興銀(今の「みずほ」)の色彩が強い自動車会社に、三菱の名を冠した企業が惨めにも助けを請うたことになる。世が世であれば、許されることではなかったはずだ。
今回の三菱自動車の事件は、三菱グループ全体の体質でもあるように思えてならない。一度後塵を拝してしまうと、三菱の名に恥じないようにとの思いから、自らを偽ってしまいかねない。
三菱はお殿様の財閥であっただけに、一度崩れればどうなるのか。しかも、グローバルな競争が激化し、迅速な経営が求められている。これに対応できるのか。これらの点が非常に心配である。
三菱グループの終わりが始まったとは本気では思っていないものの、ひょっとすればこの可能性があるのではというのが、本ブログの表題である。

2016/05/12


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