川北英隆のブログ

夢で迷子になった通りを歩いて

先日、奈良は郡山の実家に行った。農協で遺産相続の手続きをするためである(もう1年以上経っている)。子供の頃、農協がどこにあったのかは知らない。現在は市内の北、堺町の外れにある。
堺町の西側に大阪口がある。その昔、街道が生駒を越え、大阪に通じていたのだろう。豊臣秀長が郡山城にいた頃、堺町や大阪口は栄えていたに違いない。
その堺町だが、今は寂れている。かつて大きな民家が多かった。酒屋もある。そんな町並を通ると、いつも思い出すのは、その町で迷子になった夢のことである。格子戸の立派な大きな家の前で迷子になり、どこに行けば戻れるのか不安になる夢か、その家の前で誰かを探す夢である。何パターンかあったように記憶している。
そこに登場する「格子戸の立派な大きな家」は実在し、今でも子供の頃のままである。間口の幅は、子供の足では端から端まで歩くのに1分はかかりそうである。その家の前を通ったのは、郡山の北の外れから市の中心に引っ越した時が最初だろう。まだ幼稚園に通う前だったから、どこに行くのか不安なまま両親に付いて歩いたのを覚えている。
次の機会は、家移りしてしばらく後、元の家の近所に住んでいた友達に会うためだった。子供の足ではえらく遠かった記憶がある。今では15分もあれば着くだろうが、子供としては不安なまま、堺町を歩いた。今から考えると、幼稚園前の子供に両親がそんな遠出をよくさせたなと思うが。かすかな記憶をたどれば、勝手に遊びに行った可能性もある。
子供の頃も、そして今でも、その大きな民家から人が出てきた試しがない。ひょっとして、その家は幻か(そういえば格子に手を触れたことがない)、もしくはその家の中に何らかの仕掛けがあるのかもしれないと思えてくる。
こんなことを書くと、今日の夢に久しぶりに登場するかも。

2016/05/17


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