6/1、女性は黒、男性は深い紺の揃いの服装がビジネス街で目立った。言わずと知れた就職活動である。この姿を見る度に、日本の社会は一種の社会主義だなと思ってしまう。
何故、黒っぽい(つまり大人しい色)の服装で就活しないといけないのか。何故、一斉に就活解禁なのか。何故、単純な面接だけで採用を決めるのか。何故、新卒を主流にした採用活動なのか。何故、大卒主体なのか。少し考えればわかるように、魔訶不思議である。
僕が就活したのは1973年だった。4年生の5/1に面接が解禁になり、7/1に内定を出していいとのことだった。どんな格好で会社訪問したのかは忘れたものの、紺系のネクタイを持っていなかったから、ある程度適当だったと思う。背広も既成のものだったから、あまり身体に合っていなかった。もちろん、真っ赤な服装ではなかったが(思い出すと、ネクタイは赤系だったかも)。
しかも、「5/1ってメーデーやし、会社は休みやろ」と思い込み、出掛けたのは5/2だった。実は、3月頃から証券会社が会社訪問を受け付けていた。どういうルートだったのか、いきなり会社に電話したのかは忘れたが、某最大手証券会社(N社)を訪問していて、5/1前に内定をもらっていた(少なくともそれに近かった)。その安心感もあり、5/1をパスしたのも事実である。
5/2に出掛けた先は日本生命だった。友達に「株式投資の仕事をしたいな」と話していたら、「それやったら日本生命や」と言われた。生命保険会社で知っていたのは(前にも書いたように父親が代理店をしていた)朝日生命だけだったので、会社四季報をぱらぱらめくった。日本生命がいろんな会社の大株主だった。それだけのことで訪問したわけだ。
京阪の淀屋橋で降りた。大雨だった。日本生命の大体の位置は調べていたが、御堂筋に出ても「日本生命」の看板がない。ようやく見つけ出した時にはずぶ濡れに近かった。日本生命の本店ビルのどこから入ったのかも(正面入口か通用口かも)覚えていない。
人事部に通されると僕以外は誰もいなかった。人事の担当者も暇そうに見えた(最初に会ったのは当時係長だった中村俊雄さんだった)。後から考えると、5/1にたくさん来たのだろう。また、生保業界は人気がなかったと思う。
結果として、N証券を断り、日本生命に入って29年間勤めた。日本生命に絞った理由は、6時間20分勤務で、給料が良さそうだったことである。長年わが家に来ていたN証券のセールスレディーに質問しても、お勧めというような返事がなかった。とはいえ、正直なところ、すぐに日本生命を辞めるような予感もあった。辞められるようにと多少の勉強もしたように思う(ウソかな)。
就職先の選択って、そんな程度だろう。金融機関の大手を見渡してみよう。昔の名前で残っている会社は少ない。事業会社も栄枯盛衰が大きい。1つの会社にしがみつくことが正解だとの率は小さいのである。どこかで転機が訪れる。
2016/06/10